まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

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旧安田庭園【探訪編】

名園五十種 以前、肥後細川庭園でも取り上げました『名園五十種』に、安田本邸の庭園が紹介されています。 大川端の安田邸は舊と備前候池田家の邸趾でその庭園の幽邃淸雅なるは夙に東都好庭家の稱讚嘖々たる所の一箇の名勝である、 近藤正一(1910)『名園五…

旧安田庭園【震災編】

関東大震災と日本庭園 今まで旧安田庭園の歴史について紹介していきました。ここで、一般公開直前に発生した関東大震災での歴史を振り返ります。 関東大震災では、樹木と池泉がある日本庭園で多くの人々を火災から救うことができました。旧芝離宮庭園や深川…

旧安田庭園【人物編】

安田翁と後藤市長 「安田善次郎と後藤新平」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」より引用・編集) 旧安田庭園が一般公開されるようになったのは、銀行王にして安田財閥創始者である安田善次郎氏の「陰徳を積む」志と、稀代の政策家・後藤新平伯爵の強固な…

旧安田庭園【歴史編②】

文献でみる維新後の歴史 当ブログ「旧安田庭園 【歴史編①】」以後の歴史もみていきます。 【歴史編①】でも紹介した亀田氏の論文には、次のような記載があります。 明治になって旧備前岡山藩主池田章政邸となり、明治24年(1891)7月安田財閥の創始者安田善次…

旧安田庭園【歴史編①】

文献から見る屋敷地の由来 旧安田庭園は他の例に漏れず、元は大名家の屋敷地でした。 庭園の入り口にあるパネルには次のように記載されています。 沿革 この地は元禄四年(一六九一)、後の常陸笠間藩五万石の藩主、本庄因幡守宗資が下屋敷として拝領し、こ…

旧安田庭園【訪問編】

「旧安田庭園」 撮影:2016.04.20 庭園情報 名称:旧安田庭園 旧称:(常陸笠間領、丹後宮津領など)本庄松平家下屋敷 旧称:池田侯爵家邸 旧称:安田家本邸 作庭:本庄因幡守宗資、安田善次郎など 完成:江戸時代中期、明治時代 住所:東京都墨田区横網1-12…

旧古河庭園【訪問編】

「旧古河庭園」 撮影:2020.01.03 「旧古河庭園 旧古河邸」 撮影:2020.01.03 建築・庭園情報 共通情報 名称:旧古河庭園 旧称:古河虎之助邸 備考:国指定名勝「旧古河氏庭園」 建築情報 用途:邸宅・迎賓施設 設計:ジョサイア・コンドル(Josiah Conder) …

肥後細川庭園【探訪編】

名園五十種 明治43年(1910)に出版された『名園五十種』に細川侯爵邸の庭園が紹介されています。前半に洋館・和館の庭園(関東大震災で焼失)、後半に現在の肥後細川庭園と思われる庭園が記述されています。文章のみの紹介のため、場所の推測を行いながら巡…

肥後細川庭園【歴史編③】

敗戦後の資産売却 第二次世界大戦の敗戦は、華族たちにとっても厳しい立場に追い詰めました。特に最高税率が資産額の90%という財産税は華族たちの没落を決定づけるものでした。細川侯爵家も、次々と資産の売却を進めていきます。

肥後細川庭園【歴史編②】

維新後の地図で見る変遷 当ブログ「肥後細川庭園 【歴史編①】」では江戸時代までの歴史を確認しました。今回はその後の歴史について確認します。

肥後細川庭園【人物編】

鳳台院夫人 「肥後細川庭園の桜」 撮影:2019.03.31 肥後細川庭園のキーパーソン、鳳台院夫人については、残念ながらあまり史料が残っていません。限られた史料から、その人柄を見ていきます。

肥後細川庭園【歴史編①】

詳細な歴史は不明のまま 平成26年(2014)より始まった一連の整備工事が完了した現在でも、この庭園の詳細な歴史は不明です。現地の解説板には当地の歴史をこのように述べています。 大名の下屋敷から細川家へ この地は、江戸中期以来旗本の邸宅となりました…

肥後細川庭園【訪問編】

「肥後細川庭園」 撮影:2016.04.27 庭園情報 名称:肥後細川庭園 旧称:肥後細川家下屋敷・抱屋敷、細川侯爵家本邸、新江戸川公園 住所:東京都文京区目白台1-1-22 作庭:不明 完成:不明(江戸時代後期・幕末期か?) 文京区の知られざる庭園 平成29年(20…

清澄庭園

撮影:2016.04.08 庭園情報 名称:清澄庭園 旧称:岩崎家深川別邸 深川親睦園 旧称:岩崎家深川別邸 清澄園 作庭:岩崎弥太郎 磯谷宗庸 備考:都指定名勝 明治を代表する名庭 撮影:2016.04.08 東京都江東区清澄。都営地下鉄大江戸線・東京メトロ半蔵門線「…