庭園情報
- 名称:旧安田庭園
- 旧称:(常陸笠間領、丹後宮津領など)本庄松平家下屋敷
- 旧称:池田侯爵家邸
- 旧称:安田家本邸
- 作庭:本庄因幡守宗資、安田善次郎など
- 完成:江戸時代中期、明治時代
- 住所:東京都墨田区横網1-12-1
- 備考:都指定名勝
小規模ながらも明治を代表する庭園
JR東日本・都営地下鉄の両国駅から徒歩10分圏内。近隣には両国国技館、江戸東京博物館、横網町公園といった施設がある、両国の中心地。ここに都内の喧騒を忘れさせる日本庭園があります。深川の清澄庭園と並び、明治期を代表する庭園です。
水没する沢渡石
庭園内には数か所、沢渡石が設置されています。
この庭園はかつて隅田川の水を引き入れていました。そのため、隅田川の潮位の上昇で、この沢渡石も水面下に没したそうです。
現在では水質が悪化したため、隅田川からは遮断し、庭園地下に貯水槽を設置して水位の変化を再現しています。
中島
庭園内の池(心字池)の中に中島があります。神仙蓬莱思想に基づいた、亀の形をした中島となっています。明治時代からの古地図をみると、池田侯爵家邸時代は更に大きな島となっています。このことから、この中島は安田家本邸時代のデザインと推定されます。
州浜と雪見灯籠
この庭園には大小3つの雪見灯籠があります。それぞれ、州浜上に設置されていますが、時間帯によっては写真の様に水没しています。雪見灯籠の有無によって、景観がうまく引き締まっていることがわかります。
太鼓橋
心字池の南端、両国国技館側に太鼓橋が架かっています。撮影当時は赤く塗られており、緑の樹木に囲まれた太鼓橋がよく映えていました。現在では昭和2年の一般公開時の状態に戻したため、赤い塗装面を剥離し石材本来の表面が見えるようにしています。
枯滝
庭園内には石組で表現された枯滝が複数あります。ただし、庭園内ではあまり目立った存在ではありません。旧安田庭園の築庭が、古くても元禄年間以降のため、桃山時代まで見られた力強い石組みの表現から後退していることが伺えます。
駒止石
庭園内には「駒止石」と言われる大きな石が置かれています。庭園内の案内板には次のように記載されています。
両国物語 駒止石
三代将軍家光の寛永年間の半ばにあたる八年(一六三一)に秋の台風に見舞われ隅田川は大洪水となりました。
本所側の被害は特に甚大で、これを憂慮した家光は、その状況を調べさせようとしました。しかし、あまりの濁流に誰もが尻込みをする中、旗本阿部豊後守忠秋が進み出て、現在の柳橋の辺りから、馬を乗り入れました。忠秋は、馬を巧みに操って川を渡り、被害状況を調べて回りましたが、その際、馬を止めて休憩したところが駒止石です。
当時、この辺りに住んでいた人々が忠秋の徳を敬い、この地に駒止稲荷を祀りました。
葛飾北斎が「馬尽 駒止石」にて駒止石を描いているなど、当時は名所の一つとして知られているようです。 なお、葛飾北斎が浮世絵にて描いている駒止石は隅田川沿いの道端に描いていますが、現在は庭園の隅田川とは反対側の場所に置かれています。このことから、駒止石自体は移動されているものと考えられます。
なお、駒止石の周辺には駒止井戸、駒止稲荷などがあり、心字池周辺とはまた違う雰囲気を味わうことができます。
東京スカイツリーとの共演
隅田公園と同様、旧安田庭園も東京スカイツリーを借景として利用することができます。近隣のビルとの間にそびえる東京スカイツリー。江戸・明治と現代が同居する、東京らしい光景が広がります。
旧安田庭園は清澄庭園と並び、明治期の東京を代表する庭園として並び称される名園の一つです。
歴史編①に続きます。