令和5年1月、新年も明けて間もないころ、東京駅で買物をするついでに周辺を散策しました。
丸の内トラストシティ 歴史散策
東京駅の日本橋口にある丸の内トラストシティは江戸時代に北町奉行所があった場所だったそうです。現在はほとんどをビルの敷地となっていますが、少しでも歴史の名残を感じられるような空間が整備されています。
江戸城外堀の石垣の再現
東京駅の八重洲口側に沿うように通る外堀通りには、かつて江戸城の外濠がありました。東京駅周辺は昭和30年代に埋め立てられ、現在では外堀通りや交差点の名前に名残を留めるのみです。ここの石垣は、かつてあった外濠の石垣のイメージを再現したもの。途中には現在の東京駅八重洲南口にあった鍛冶橋門周辺の堀石垣を使用し、ほぼ当時の形に組み直した部分もあります。やはり、その部分だけは風格が異なりますね*1。
玉川上水をイメージした親水空間
石垣の向かい側には玉川上水をイメージした親水空間があります。玉川上水自体は現在の新宿区四谷あたりまで流れており、そこから世界屈指ともいわれる江戸の水道網で多くの人々に水が供給されていました。なお、東京駅八重洲口あたりは、ちょうど玉川上水の給水域の末端部となります。
北町奉行所跡の石組溝
先述の通り、丸の内トラストシティは、北町奉行所の跡地に建てられています。北町奉行所は、江戸の行政・司法・警察の役割を担った町奉行の一つで、東京都の史跡にも指定されています。「遠山の金さん」で有名な遠山金四郎も、北町奉行を務めました。案内板によると、平成12年(2000)の発掘調査で、北町奉行所の上水道や井戸などが発見され、そのうち下水溝について場所を移して組み直したものを記念として設置されています*2。
TOKYO TORCH Park
TOKYO TORCH Park は、東京駅前の常盤橋街区の再開発プロジェクト「東京駅前常盤橋プロジェクト」で整備された広場です。芝生の広場や平均台、滑り台などの遊具があり、子供たちが遊べるちょっとした空間ができていました。息子も時間を忘れて楽しんでました。
赤べこ
赤べこは、福島県の会津でよく見かける郷土玩具です。赤は病魔が嫌う色、黒い斑点は疱瘡(天然痘)を受けて治癒した跡とされ、疫病退散などの願いを込めて作られています。この赤べこは、TOKYO TORCH Park のシンボルカラーに合わせたカラーリングです。福島県のホームページによれば、令和4年(2022)9月末頃までの展示だったようですが、予定が変更されたのか、まだ設置されていました。
錦鯉が泳ぐ池
TOKYO TORCH Park の一角には、その名の通り、錦鯉が泳いでいる池が整備されています。ちょっとした庭園、といった感じのひょうたん型の池で、大きな錦鯉がいました。訪ねた時期が真冬だったためか、錦鯉は冬眠中のようで、ほとんど動いていません。また、春あたりに訪ねたいですね。
常盤橋公園
TOKYO TORCH Park と道を挟んだ向かい側には常盤橋公園があります。常盤橋公園は、国の史跡に指定されている常盤橋門跡と都内最古の石橋とされる常磐橋を公園として整備されたものです。常磐橋を渡った先には日本銀行があり、まさに東京の金融の中心地と言える場所です。なお、常盤橋公園は1月10日より3月31日まで、首都高速の日本橋区間地下化事業の調査のため、一時的に閉鎖されています。少し先の未来ではありますが、首都高の地下化により、周辺の環境も劇的に変わっていくことでしょう。
常磐橋
常磐橋は明治10年(1877)に架橋された、都内現存最古の石橋です。当時としては珍しい、歩車分離の石橋で、現在でもその様子が見られます。元々は天正十八年(1590)に架橋された木造橋梁で、奥州道の起点となる交通の要所でした。江戸時代に入り「常盤橋」の名で呼ばれるようになり、寛永六年(1629)には常盤橋門が設けられ、江戸城外郭の正門として機能しました。その後、明治時代に現在の石橋に架け替えられましたが、明治から大正期都市計画「市区改正」での解体危機、大正12年(1923)の関東大震災の被害を乗り越え復旧。このころから「常磐橋」の表記が使われるようになったようです。そして平成23年(2011)の東日本大震災で崩落の危険性を指摘されるほどの被害を受けましたが、9年の歳月をかけた工事の末、令和3年(2021)に修復が完了しました。*3*4。
渋沢栄一像
常盤橋公園には日本資本主義の父、渋沢栄一翁の銅像が設置されています。昭和8年(1933)に銅像が建立されましたが、第二次世界大戦での金属供出により撤去、昭和30年(1955)に再建されました*5。周辺は日本銀行や大手金融機関が集積する大手町があり、日本経済の行く末を見守るかのようです。
外濠橋梁
周辺を散策した帰り道、竜閑さくら橋から東京駅方面へ歩いていたら、動輪紋の古そうなレリーフが見えました。よく見ると、レリーフには大正7年(1918)と記載されています。特に説明板等は無かったのですが、後日ネットで調べてみると、外濠橋梁という鉄道橋で、当時の国内最長のコンクリート橋だったそうです*6。
東京駅、それも常盤橋周辺は今まで散策していなかったので面白い発見がありました。日本橋や丸の内の散策の際には、立ち寄ってみても面白いかもしれません。