庭園情報
悲劇の地に造られた、慰霊と教訓を伝える庭園
関東大震災と東京大空襲の犠牲者を慰霊する横網町公園の一画に、日本庭園が造られています。小規模な庭園ですが、東京に点在する日本庭園が関東大震災で多くの人命を救った事実を伝え、被服廠跡で猛火に包まれた犠牲者を慰め、そして現代の人々に対して不言の警告を与え続ける大変意義深い庭園です。
庭園の様子
日本庭園
横網町公園の日本庭園は、中央に池が設けられ、南西側と北側からそれぞれ細い流れが作られ、道路に面した部分は小丘を築いて樹林地帯となっています。作庭者について、当時の書籍には特に言及はありません。しかしながら、横網町公園のHPでは、設計は平山勝蔵氏と紹介されています。
小丘
道路に面した外柵沿いには小丘を築いて、一帯を樹林地帯にしています。なお、横網町公園を整備するにあたっては、多量の盛土が必要となったことから、愛宕隧道工事及び下水改良工事の発生土を活用し、また池を掘った土も使用して小丘を造成したとのことです*3。
南西側からの流れ
庭園南西側の井戸から水が湧き出るようになっており、そこから流れを発して中央の池に注がれています。流れに沿って立派な石が並べられ、時折高低差をつけながら流れる様子は、まるで渓谷を流れるかのようです。なお、これらの景石は東京市内の篤志家からの寄贈品となります*4。
池
庭園の中央に位置する池。ここから眺める景観はこの庭園のハイライトの一つと言ってよいでしょう。なお、竣工時の公園の設計図や写真と比較すると、中央の池は拡張され大きく改修されているように見えます*5。
北側からの流れ
北側からも湧水が出るようにして池に向かって流れが作られています。こちらも流れに沿って立派な石が添えられ、渓谷の流れを想起させるような構成です。なお、南西側と同様、こちらの景石も東京市内の篤志家による寄贈品となります*6。
石橋
南西側と北側から池へと向かっていく細い流れには、それぞれ石橋を架けています。東京都慰霊堂や復興記念館側から石橋を渡ると、いずれも小丘に向かうことができるため、小丘を別世界のように演出しているようです。
南西側の流れの石橋は、一枚岩の反り橋であり、端正な佇まいで景観を構成しています。
北側の橋は、幅が広めの八ツ橋状の石橋です。文献を読み解くと、こちらは石橋は寄贈された小海産花崗石2枚を用いた石橋と思われます*7。
灯籠
庭園内には灯籠が3ヶ所設置されています。これらの灯籠は、造園時に東京市の篤志家からの寄付により調達出来たものと思われます*8。
イチョウ並木
イチョウについても、公園内では多く植林されています。とりわけ正門、そして北門にはそれぞれイチョウ並木が設けられ、横網町公園におけるハイライトを作ると同時に、公園を訪れる人々に安らぎを与える存在となっています。なお、現地解説板では「大火の焰にも耐え甦生した公孫樹を称えた大並木が特に植えられてある。」と書かれています*9。
横網町公園の日本庭園は、関東大震災で清澄庭園等で多くの人命を救った事実から、その教訓に基づき作庭された庭園です。小規模ながらも犠牲者の無念を慰めるかのような静かな庭園となっています。
*1:東京震災記念事業協会清算事務所(1932)『被服廠跡』p179
*2:都立横網町公園『施設案内』(2023.08.20 参照)(https://tokyoireikyoukai.or.jp/park/shisetsu.html#shisetu6)
*3:東京震災記念事業協会清算事務所(1932)『被服廠跡』pp192-195
*4:東京震災記念事業協会清算事務所(1932)『被服廠跡』p187,191
*5:東京震災記念事業協会清算事務所(1932)『被服廠跡』p195
*6:東京震災記念事業協会清算事務所(1932)『被服廠跡』p187,191
*7:東京震災記念事業協会清算事務所(1932)『被服廠跡』p191,196
*8:東京震災記念事業協会清算事務所(1932)『被服廠跡』p191,196
*9:東京都(1951)『現地解説板』(2023.08.23 参照)