まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

令和5年4月 丸の内・大手町散策

行幸通り  撮影:2023.04.18

 令和5年4月中旬、所用で丸の内に寄った際、久しぶりに丸の内・大手町の近代建築をめぐってきました。

東京駅 丸ノ内本屋

 言わずと知れた東京の中心駅、東京駅。設計は辰野金吾博士で、大正3年(1914)竣工の建築です。国内で最も有名な近代建築の一つと言っても過言ではないくらいの建築ですが、アメリカ合衆国の無差別爆撃により屋根や内装が焼失しています。敗戦後の復旧工事により、3階建てを2階建てに、壮麗なドームを八角形の寄棟にするなどの変更がされました。当初は仮復旧のはずでしたが、以後60年にわたりその姿のまま駅舎として活用されていきます。いつしか近代建築ファンの悲願となっていた竣工当初の姿に復原されたのは平成24年(2012)です。ようやく、現在の姿が馴染んできたように感じます。

東京駅 丸ノ内本屋  撮影:2023.04.18

東京駅 丸ノ内本屋 丸の内南口  撮影:2023.04.18

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JPタワー

 東京駅と道を挟んで隣接するJPタワー。元は東京中央郵便局であり、低層階には昭和6年(1931)に竣工した建築の一部が保存されています。モダニズム建築の傑作の一つとされ、そのデザインは現在においても古さを感じさせません。東京中央郵便局の再開発事業の際は、その保存をめぐって政治問題化しました。国会でも議論された結果、保存部位を増やすことで決着します。この結果は満点ではないものの、残された低層階をみるに、開発と保存の両立という難題を辛うじて解決した例だと思います。

JPタワー  撮影:2023.04.18

JPタワー 旧東京中央郵便局長室  撮影:2023.04.18

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丸の内パークビルディング

 JPタワーから有楽町方面へ進むと丸の内パークビルディングが現れます。ここには昭和3年(1928)に竣工した丸ノ内八重洲ビルという近代建築がありましたが、再開発で取り壊されました。現在では丸の内パークビルディングの低層部に塔と基壇部が当時の面影として残されます。

丸の内パークビルディング  撮影:2023.04.18

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三菱一号館美術館

 丸の内パークビルディングと同時に再建されたのが三菱一号館美術館です。元の建築は明治27年(1894)に竣工した建築で、明治期の代表する赤レンガ建築の一つでしたが、昭和43年(1968)に取り壊されました。重要文化財の指定も検討されていた最中の取り壊しであったため、物議を醸す事態となります。その後、平成21年に可能な限り再現する形で再建されました。

三菱一号館美術館  撮影:2023.04.18

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明治生命館

 三菱一号館から皇居方面へ歩くと明治生命館に到着します。明治生命館は、昭和9年(1934)竣工で、古典主義様式の最高傑作の一つとされる建築です。丸の内地区では珍しい、「全体保存」の例であり、国の重要文化財にも指定されました。この建築の完成度の高さは、素晴らしいの一言です。

明治生命館  撮影:2023.04.18

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みずほ丸の内タワー・銀行会館

 明治生命館から皇居の御濠沿いを北に進むと、令和2年(2020)竣工のみずほ丸の内タワー・銀行会館に到着します。かつてここには大正5年(1916)竣工の東京銀行集会所があり、保存運動の結果、東京銀行協会ビルの低層部にファザード保存されました。しかしながら実際はほとんど新築に近い再現であり、その出来栄えについては建築ファンからの評価が低く、「失敗事例」の一つとして取り上げられるようになります。この評価は、千代田区景観街づくり審議会の会議録での事業者の発言から推測すると、その後の再開発計画に少なからず影響を及ぼしたものと考えられ、結果的にファザード保存を廃棄する流れになりました*1。事業者にとっては、評価が低いのであれば廃棄することは当然の意思決定です。事業者側の努力をもう少し斟酌すべきではなかったか。当時を偲ばせる建築そのものがなくなった現実を前にして、一ファンとして反省です。なお、東京銀行協会ビルはその後の教訓として、日本工業倶楽部会館の「部分保存」、明治生命館の「全体保存」、三菱一号館美術館の「再現」といった事例へとつながっていくことになりました*2

みずほ丸の内タワー・銀行会館  撮影:2023.04.18

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大手町野村ビル

 永代通り沿いにある大手町野村ビル。元の建築は、昭和7年(1932)に竣工しました。こちらも外壁保存によって当時の面影を残しています。

大手町野村ビル  撮影:2023.04.18

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日本工業倶楽部会館

 大手町野村ビルから東京駅方面へ歩くと、日本工業俱楽部会館に到着します。大正9年(1920)に竣工した建築で、設計は横河民輔氏、松井貴太郎氏らによるもの。関東大震災によるダメージから全体保存は断念されましたが、建物の3分の1が保存され、残りは古材を活用するなどして再現を図ることで、比較的良好な保存状態が実現されています。前述の東京銀行協会ビルの反省が活かされた事例です。

日本工業俱楽部会館  撮影:2023.04.18

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 久しぶりに丸の内・大手町を散策しました。国内有数のオフィス街である丸の内は、開発と保存をいかに両立していくかの葛藤の歴史を感じさせてくれます。残された建築が、今後も残り続けたら良いな、そんなことを思いながら散策を終えました。

*1:千代田区(2016)『平成28年度 第1回 千代田区景観まちづくり審議会 会議録』(2023.05.07 参照)https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/machizukuri/kekan/documents/28-1-shingikai.pdf

*2:三菱地所設計(2016)「01 豊富な実績が生んだ幅広い継承の手法」『特集 歴史的建造物の「継承設計」』(2023.05.07 参照)https://www.mjd.co.jp/library/keisho/know-how01.html