まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

鶴舞公園 日本庭園【訪問編】

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池」 撮影:2019.12.15

庭園情報

名古屋が誇る近代公園

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鶴舞公園 噴水塔」 撮影:2019.12.15

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鶴舞公園 奏楽堂」 撮影:2019.12.15

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名古屋市公会堂」 撮影:2019.12.15

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鶴舞公園 普選記念壇」 撮影:2020.08.13

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池」 撮影:2019.12.15

 JR・地下鉄鶴舞駅を降りてすぐの場所に、鶴舞公園があります。明治42年(1909)に開園した名古屋市初の公園であり、公園内には整形式洋風庭園や噴水塔、奏楽堂といった洋風建築群、名古屋市公会堂や普選記念壇といった記念碑的建築、そして胡蝶ヶ池を中心とした日本庭園が存在します。 この日本庭園、明治後期に築庭されたものですが、都会の喧騒を忘れさせてくれる落ち着いた庭園です。

胡蝶ヶ池

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池」 撮影:2019.12.15

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池」 撮影:2019.12.15

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池」 撮影:2019.12.15

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池」 撮影:2019.12.15

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池」 撮影:2019.12.15

 鶴舞公園の日本庭園は明治43年(1910)、村瀬玄中氏・松尾宗五氏の指図のもと築庭され、胡蝶ヶ池はその中心的な池となります。胡蝶ヶ池の北半分は一面に蓮が植えられており、南半分は中ノ島が築かれた池泉回遊式庭園となっています。

 非常に立派な日本庭園ですが、第二次世界大戦敗戦後、米軍に接収された際、胡蝶が池の南半分が埋め立てられたという歴史もあります。

 接収解除後の昭和27年(1952)に横井時綱氏の指導のもと埋められた胡蝶ヶ池の復元が開始され、同30年に復興が完了し往時の姿が蘇りました。 

中ノ島

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鶴舞公園 中ノ島」 撮影:2020.08.13

 胡蝶ヶ池の南側には中ノ島が存在します。澤田天瑞氏によると、この中ノ島は亀の形をしていることから亀島であると言います。

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鶴舞公園 中ノ島」 撮影:2020.08.13

 よく見ると、中ノ島の北端部に、亀頭石と推定できる石が設置されていることが確認できます。ただし、島全体の大きさに対して比較的小さな石であることから、その存在感は抑えめとなっています。

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鶴舞公園 中ノ島」 撮影:2019.12.15

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鶴舞公園 中ノ島」 撮影:2019.12.15

 一方で少し歩いた地点で見る中ノ島は、私の意見ですが、鶴が羽ばたく姿の様にも見えます。特に解説等は確認できないことから、実際のところは不明です。

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鶴舞公園 中ノ島」 撮影:2020.08.13

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鶴舞公園 中ノ島」 撮影:2020.08.13

 中ノ島の中央付近に小規模ながら石組が確認できます。立石と横石の組み合わせのようにも見えることから、陰陽石を意図したものかもしれません。何れにしろ、この中ノ島が神仙蓬莱思想により設計されたと推定できます。

陰陽石

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鶴舞公園 陰陽石」 撮影:2020.08.13

 庭園内を歩いていると園路の途中に不思議な石組に遭遇します。特に解説は無いのですが、立石と横石の組み合わせから陰陽石ではないかと推定できます。

三尊石組

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池 もみじ下の三尊石組」 撮影:2019.12.15

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池 やなぎ下の三尊石組」 撮影:2019.12.15

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池 池中の三尊石組」 撮影:2019.12.15

 胡蝶ヶ池の周囲には三尊石組が3組確認できます。池中の石組はあまり目立ちませんが、他二つはかなり大きな石を使用していることから存在感があります。明治後期の作庭であり、基本的には自然主義が強い庭園ですが、それゆえに強烈な印象を観賞者に残します。 

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池 もみじ下の三尊石組」 撮影:2020.08.13

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池 やなぎ下の三尊石組」 撮影:2020.08.13

 中ノ島の対岸に位置する2つの大きな三尊石組は、それぞれ手前の沢飛石が置かれています。まるで、仏様が中島へ渡れるような形となっているようです。

枯滝 

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鶴舞公園 枯滝」 撮影:2020.08.13

 鈴菜橋のたもとの近くに枯滝と思われる石組が設置されています。かなり小規模の為うっかり見落としてしまいそうです。

鶴・亀の彫刻

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鶴舞公園 胡蝶ヶ池 鶴・亀の彫刻」 撮影:2019.12.15

 胡蝶が池の中島にある鶴の噴水は、復興が完了した昭和30年(1955)に朝日新聞社より寄贈されたものです。翌31年には亀の彫刻、更に翌32年にはもう1羽の鶴の彫刻が同社より寄贈されました。

 本来、日本庭園において、鶴や亀の表現は石組、あるいは植栽にて表現できるものです。ここまで直接的な表現をした像の設置は庭園本来の良さを台無しにしかねません。精巧に造られている彫刻のため、大きな不調和を招いていませんが、結果的に中ノ島の石組の存在感を薄めてしまっています。

 菖蒲池

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鶴舞公園 菖蒲池」 撮影:2019.12.15

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鶴舞公園 菖蒲池」 撮影:2019.12.15

 胡蝶ヶ池の東側には菖蒲池が設けられています。澤田天瑞氏によると、大正12年(1923)に沼沢地を改造したものとしています。

 名古屋市役所によると、菖蒲が満開となった様子を市民に観覧してもらうために設けられたと記されています。

五 菖蒲ヶ池 (中略)満開時市民の觀覧に供すべく施設せられ、花季には夜間の臨時灯と相俟ち極めて見事な風致を添へ、公園名所の一つとなつてゐる。

名古屋市役所『名古屋の公園』(1943.05)p18

竜ヶ池

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鶴舞公園 竜ヶ池」 撮影:2020.08.13

 鶴舞公園最大の池はこの竜ヶ池です。名称については旧名古屋の東南方向に位置するためとしています。

一 龍ヶ池 園内最大の池で其の位置舊名古屋の東南に在るを以て此の名がある。(後略)

名古屋市役所『名古屋の公園』(1943.05)p17

  この池自体は鶴舞公園が開園する前から存在しており、いつ頃出来たかは不明とのことです。

秋の池

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鶴舞公園 秋の池」 撮影:2019.12.15

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鶴舞公園 秋の池」 撮影:2019.12.15

 秋の池は胡蝶ヶ池の北に位置する池です。秋になると紅葉がことのほか美しい場所になります。目立った石組等も無いことから、この池は日本庭園というより自然の風景を描いた庭園と言えるでしょう。澤田天瑞氏によると、かつてはさらに大きな池だったそうですが、昭和18年(1943)に公園管理事務所が移転したこともあり池が縮小されてしまったそうです。それでもなお、現在でも秋の景色は健在です。

 

  一見、明治後期の作庭ということもあり、そこまで大きく主張する石組は存在しないのですが、一方で胡蝶ヶ池の中ノ島や陰陽石、三尊石組、枯滝といった伝統的手法が随所にみられる庭園です。

 名古屋最古の都市公園であり、長らく名古屋の中央公園としての役割を担ってきた鶴舞公園。和魂洋才の思想を体現する立派な公園を身近に利用できる名古屋市民が羨ましく思います。

参考文献

  • 澤田天瑞「鶴舞公園」『中部庭園同好会庭園資料集 第5輯』Vol.73(1992.06)
  • 名古屋市役所『名古屋の公園』(1943.05)