まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

楽寿園【訪問編】

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楽寿園」 撮影:2020.08.02

庭園情報

  • 名称:楽寿園
  • 旧称:小松宮三島御別邸
  • 旧称:李王世子垠殿下三島御別邸
  • 旧称:李王家三島御別邸
  • 旧称:緒明家三島別邸
  • 住所:静岡県三島市一番町
  • 備考:国指定天然記念物及び名勝

三島溶岩流を活かした庭園

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楽寿園」 撮影:2020.08.02

 平成28年5月、三島駅前にある楽寿園(旧小松宮三島御別邸)を散策しました。庭園の中心である小浜池は昭和30年代以降渇水状態が続いています。この時も池の底の溶岩が露出していました。庭園各所に点在する約1万年前の富士山の火山活動の痕跡に衝撃を受けながら、本来の楽寿園の姿に思いを馳せました。

 それから4年後の令和2年7月末、小浜池の水が満水となりました。満水状態となるのは9年ぶり、水位が2メートルを越えたのは50数年ぶりと言われます。今ではなかなか見ることのできない築庭当時の姿を一目見ようと思い、最寄りのJR三島駅を降りました。

小浜池

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楽寿園 小浜池」 撮影:2020.08.02

 富士山の伏流水が涌き出る小浜池。かつては常時水を湛えていたのですが、昭和30年代以降、渇水状態が続くようになりました。現在では満水になるのは7~8年に一度程度と言われています。

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楽寿園 小浜池の水」 撮影:2020.08.02

 冒頭にも記した通り、令和2年(2020)7月末、9年ぶりに満水状態となり、往時の光景が一時的に復活しました。澄みきった富士の伏流水を満々と湛える小浜池は、美しいの一言です。

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楽寿園 小浜池」 撮影:2020.08.02

 築庭当時は恐らく、日や季節によって水位の上下動があったであろうと推定されます。江戸・東京に多かった潮位の変化を楽しむ潮入の庭と似ているかもしれません。

小浜池の底

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楽寿園 小浜池」 撮影:2016.05.14

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楽寿園 小浜池」 撮影:2016.05.14

 通常、小浜池は近年の渇水傾向から池の底が見えることが多くなっています。池の底には約1万年前の富士山の火山活動によって発生した三島溶岩流が露出しており、その光景から国指定天然記念物及び名勝に指定されています。

宮島・中の島

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楽寿園 中の島」 撮影:2020.08.02

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楽寿園 広瀬神社」 撮影:2020.08.02

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楽寿園 中の島」 撮影:2020.08.02

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楽寿園 中の島 宮島」 撮影:2016.05.14

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楽寿園 宮島」 撮影:2020.08.02

 小浜池の中央付近に「宮島」「中の島」の2つの中島があります。楽寿園のホームページには、いずれも溶岩塚であることが記されています。

 現地では特に説明はないものの、中の島にある松の形状から鶴を形どっていることが推定されます。また、宮島には広瀬神社の祠があることから、この島が小浜池にとって神聖な場所であることを濃厚に暗示させています。そして、宮島・中の島と対岸を結ぶ橋は容易に渡れないよう狭く造られていることから、神仙蓬莱思想を基に築庭されていることが伺えます。

おきな島

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楽寿園 おきな島」 撮影:2020.08.02

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楽寿園 おきな島からの眺望」 撮影:2020.08.02

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楽寿園 おきな島からの眺望」 撮影:2020.08.02

 

 小浜池の東側にはの2つの中島があります。そのうちの一つであるおきな島には藤棚が設置され、日中も日陰になるように設計されています。ここから眺める小浜池はビューポイントの一つとなります。

うきね島

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楽寿園 うきね島」 撮影:2020.08.02

 うきね島は小浜池の東側にある中島の一つです。こちらは人が立ち入ることができない小さい中島となります。現地では特に説明は無いのですが、「うきね」の意味の通り、写真手前の部分は木の枝が横方向に伸びていることから、水面で休む鳥のような造形をしているようにみえます。また、灯篭がある部分は亀のようにもみえることから、鶴と亀を形どった島とも推定できます。

楽寿館

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「楽寿館」 撮影:2020.08.02

 小浜池の北縁に位置する楽寿館は、小松宮彰仁殿下の別邸として明治23年(1889)に建築されました。その後李王世子垠殿下の別邸、地元有力者・緒明家の別邸となった後、三島市の所有となりました。

 現在の名称である「楽寿館」は昭和27年(1952)に三島市が所有した際に命名された名称となります。

せりの瀬・中の瀬・はやの瀬

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楽寿園」 撮影:2020.08.02

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楽寿園」 撮影:2020.08.02

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楽寿園」 撮影:2020.08.02

 小浜池の南、堤で区切られている低地にせりの瀬、中の瀬、はやの瀬があります。小浜池の開けた眺望とは異なり幽邃という表現が相応しい森の中にいるような場所です。

 中の瀬は、小浜池と同様、富士山の伏流水が湧き出てくる場所です。標高の関係から、小早池より早く湧水が確認される地点でもあります。

小松の堤

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楽寿園」 撮影:2020.08.02

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楽寿園」 撮影:2020.08.02

 小浜池とせりの瀬・中の瀬・はやの瀬を区切るような形で築かれているのが「小松の堤」です。よく見ると、火山の噴石を積み上げて造っているように見えます。よく似た構図として東京・旧古河庭園の石積を思い起こします。この区切りによって開放的な小浜池の眺望と、せりの瀬・中の瀬・はやの瀬の幽邃の景を分ける効果を発揮しています。

三島溶岩流の跡

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楽寿園 縄状溶岩」 撮影:2020.08.02

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楽寿園 溶岩小洞穴」 撮影:2020.08.02

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楽寿園」 撮影:2020.08.02

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楽寿園 縄状溶岩」 撮影:2020.08.02

 楽寿園の中には、約1万年前の富士山の噴火の痕跡「三島溶岩流」を確認することができます。「いこいの松」では「溶岩小洞穴」、「常盤の森」では「縄状溶岩」などが観察できます。一番最初に当地を訪ねたとき、あまりにも身近に噴火活動の痕跡があることに衝撃を受けました。約1万年前の出来事とは言え、私たちが住んでいる日本は火山国である現実を改めて認識させられます。

灯篭

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楽寿園 楽寿灯篭」 撮影:2016.05.14

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楽寿園 鞍馬灯篭」 撮影:2020.08.02

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楽寿園 鞍馬燈籠」 撮影:2020.08.02

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楽寿園 濡鷺型灯篭」 撮影:2016.06.14

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楽寿園 灯篭」 撮影:2016.06.14

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楽寿園 灯篭」 撮影:2020.08.02

 楽寿園内には、他の日本庭園と同様、数多くの灯篭があります。 巨大な灯篭である「楽寿灯篭」、貴重な鞍馬石を用いた「鞍馬灯篭」、大理石でできた独特な形状である「濡鷺型灯篭」、李王家由来とも言われる灯篭など、いずれも印象に残るものばかりです。 

 園内に目立った石組が無い等、明治以降に主流となる自然主義の傾向が強い庭園と言えます。一方で、富士山の火山活動により形成された三島という土地の特色を生かした築庭、造園がなされています。明治期の代表的な庭園の一つと言えそうです。

参考文献