庭園情報
長浜御坊の三つの名勝庭園
滋賀県長浜市にある大通寺。地元では「長浜御坊」の名で親しまれている寺院です。この大通寺には国の名勝に指定されている含山軒庭園、蘭亭庭園、そして長浜市の名勝に指定されている学問所庭園があります。
訪問当日の様子は下記のページでも掲載していますので、よろしければご参照ください。
大通寺含山軒庭園の様子
大通寺の書院・含山軒の前庭として整備されている庭園で、国の名勝に指定されています。含山軒は元々大通寺の住職の居住空間として建築された書院です。庭園は第五代住職・横超院真央上人が宝暦年間に作庭されたと推定され*4、霊峰・伊吹山を意識した上人の別号「含山軒」から書院の名がとられています*5。
元々は枯山水の名園として知られていますが、訪問した前日が雨天であったためか、庭園に水が溜まっていました。重森氏が指摘するように、枯山水でありながら地割は池庭的であることがよくわかります*6。
借景 霊峰・伊吹山
含山軒庭園は奥に霊峰・伊吹山を借景として取り入れています。先述のとおり、含山軒庭園を作庭したされる横超院真央上人の別号「含山」は霊峰・伊吹山に因むもの。この地域における伊吹山の存在感を感じさせます。
枯滝
庭園左手には大きな枯滝の石組があります。枯滝石組は上部を三尊石組、下部に水分石の二段落の手法で構成され、その左手には不動石が配置されています*7。巨石を用いた豪華な石組です。
亀島・鶴島
枯滝石組の前にある出島は、亀頭石があることから亀島であると考えられます。
その中島は鶴首石が配置されていることから、鶴島と考えられます。こうしてみると、鶴島、亀島がそろった形で作庭されていることが分ります。
大通寺学問所庭園の様子
含山軒庭園に隣接する形で整備されているのが、長浜市の名勝に指定されている学問所庭園です。明確な仕切り等は無いため、含山軒庭園と同一の庭園のように扱われがちですが、もともとは学問所(現存せず)の前庭として整備された庭園で、含山軒庭園の次に整備されたと推定されています*8。
石橋付近の石組
学問所庭園の枯池には石橋が掛けられています。写真では分かりづらいですが、自然石を二石を入れ違える形で構成されています*9。
石橋の南側には石組が集団で設置されていますが、訪問当日は草木に埋もれ気味になっていました。
石橋の北側には築山があり、三尊手法の枯滝石組が設けられています*10。この枯滝は巨石を用いた豪快なもの。学問所庭園のレベルの高さが見て取れます。
中島
枯池の中には鶴島・亀島と思しき中島が設置されています*11。
枯池北岸の石組
枯池の北岸にも枯滝や流れと思われる石組が設けられています。こうしてみると、学問所庭園も多くの見所がある庭園であることが分ります。
大通寺蘭亭庭園の様子
大通寺の書院・蘭亭の前庭として整備されている庭園で、含山軒庭園と同様、国の名勝に指定されています。蘭亭も住職の居住空間として整備された書院で、こちらは棟札から宝暦五年(1755)に建築されたことが判明しています。書院内部には「蘭亭曲水の図」が描かれ、これが書院の名称の由来となっています。
枯滝石組
庭園南東部には枯滝石組を設置して細長い流れを作っています*12。こちらの枯滝も巨石を立てており、その豪快さがよくわかります。
築山・出島・太鼓橋
庭の南部には築山が造られ、滝の流れと池の合流部には出島、その出島と蘭亭を結ぶように太鼓橋が架けられています*13。草木が繁茂していますが、それでも他の二庭と共通して巨石を用いた豪快さがよく感じられます。
大通寺の三つの庭園は、決して広大な庭園ではないものの、要所に巨石を用いた石組が見所の庭園です。現在でも十分美しい庭園ですが、さらに手入れが進めばより魅力的な庭園に蘇りそうな気がしました。近くに来たらぜひ立ち寄りたい庭園です。
*1:重森三玲・重森完途(1972)『日本庭園史大系25 江戸中末期の庭(二)』p43
*2:重森三玲・重森完途(1972)『日本庭園史大系25 江戸中末期の庭(二)』p42
*3:重森三玲・重森完途(1972)『日本庭園史大系25 江戸中末期の庭(二)』p44
*4:重森三玲・重森完途(1972)『日本庭園史大系25 江戸中末期の庭(二)』p41-43
*5:重森三玲・重森完途(1972)『日本庭園史大系25 江戸中末期の庭(二)』p41-42
*6:重森三玲・重森完途(1972)『日本庭園史大系25 江戸中末期の庭(二)』p42
*7:重森三玲・重森完途(1972)『日本庭園史大系25 江戸中末期の庭(二)』p45
*8:重森三玲・重森完途(1972)『日本庭園史大系25 江戸中末期の庭(二)』p42
*9:重森三玲・重森完途(1972)『日本庭園史大系25 江戸中末期の庭(二)』p45
*10:重森三玲・重森完途(1972)『日本庭園史大系25 江戸中末期の庭(二)』p45
*11:重森三玲・重森完途(1972)『日本庭園史大系25 江戸中末期の庭(二)』p45