都会の中の庭園
撮影:2016.04.19
JR東日本「浜松町駅」から徒歩1分。高架を抜けるとすぐに庭園の入り口に辿り着きます。ここは、現在までに残る江戸の大名庭園の中で最も古い起源を持つと言われる「旧芝離宮恩賜庭園」です。自動車、鉄道が途切れることなく周囲を通過する中、ここだけ江戸時代の面影を残す不思議な空間を保っています。
始まりは、小田原復帰の悲願を果たした老中の庭
旧芝離宮恩賜庭園の創始は小田原大久保家が屋敷地として拝領したところから始まります。当時の当主は大久保忠朝氏。徳川家綱・徳川綱吉両将軍を支える老中として活躍した人物です。大久保忠朝氏が家督を継いだ当初、大久保家の領地は肥前唐津でした。その後、領地は下総佐倉を経て相模小田原へと国替になります。もともと小田原は老中として活躍した祖父大久保忠隣氏の領地でしたが、後に改易、養父大久保忠職氏の代になって赦免されています。大久保家にとって、相模小田原への国替は彼らの悲願であったのです。作庭を開始した大久保忠朝氏が領主となった唐津や小田原に因む箇所が園内にあることからも、この庭園への思い入れが伺えます。
庭園はその後、小田原大久保家から佐倉堀田家、清水徳川家、紀州徳川家、そして維新後には有栖川宮家、そして皇室と所有者が変わっていきます。明治9年(1976)には正式に離宮となり、明治期の迎賓施設として機能していきました。関東大震災や第二次世界大戦において壊滅的被害を受け、敗戦後には新幹線や貨物線への鉄道用地などでの敷地提供で面積が縮小し、林立するビル群で本来の見どころでもあった海の眺望も失うという憂き目にもあいます。それでもなお、消えない素晴らしさがこの庭園には存在します。
東京で最も古い起源を持つ庭園の一つ
旧芝離宮恩賜庭園は他の庭園と比べて小規模ながら、大名庭園の良い所を凝縮したような庭園です。園内の見どころを見ていきましょう。
砂浜・枯滝
洲浜の先にあるのが「砂浜」、更に先に進むと「枯滝」が見えます。砂浜の背後にある二つの築山と枯滝、砂浜は、当時の絵図等から恐らく清水徳川家、紀州徳川家所有時に造られたと考えられています。
「砂浜」撮影:2016.04.19
「枯滝」撮影:2016.04.19
石柱
長年、謎の存在として語られていたのがこの四本の石柱です。現在では小田原北条家に仕えた戦国武将の旧邸から運ばれた門柱であったことが分かっています。
撮影:2016.04.19
撮影:2016.04.19
撮影:2016.04.19