庭園情報
建築情報
長浜の迎賓館と名勝庭園
滋賀県長浜市。長浜駅に程近い場所に「慶雲館」があります。慶雲館は明治天皇行在所として、明治20年(1887)に近江の実業家・浅見又蔵氏(初代)により建設されました。竣工当時は庭園がなかったのですが、25年後の明治45年(1912)に七代目・小川治兵衛氏によって作庭され、現在では近代日本庭園の傑作の一つと紹介される国指定名勝の庭園です。
訪問当日の様子は下記のページでも掲載していますので、よろしければご参照ください。
前庭の様子
表門から中門までの庭を前庭としています。ここには横綱像や大灯籠が配置されているほか、中門前で枯滝、枯流があり、この奥の本庭に期待をさせる造りです。
横綱像
浅見又蔵氏が贔屓にしていた「角聖」常陸山をモデルとした石像です。どことなく、かわいらしい感じがなんとも言えません。
大灯籠
自然石を組み合わせたような大きな灯籠。大灯籠に使われた石は志賀町から琵琶湖の水運を用いて運搬していたそうです。
枯滝・枯流
中門の前には枯流が造られ、その始端には枯滝石組が組まれています。中門からは別世界となることを暗示しているかのようです。
玄関前庭の様子
中門と本館玄関の間にある庭が玄関前庭です。平庭に灯籠や巨石が配置された落ち着いた空間となっています。
慶雲館碑
慶雲館碑は明治34年(1901)、前年に亡くなった浅見又蔵氏を顕彰するため建てられた石碑です。明治42年(1909)の姉川大地震で倒壊しましたが、同45年(1912)に再建されました。
本館の様子
本館は明治20年(1887)に明治天皇・昭憲皇太后の京都行幸啓の際の行在所として、初代浅見又蔵氏によって建築されました。総檜造りの立派な建築で、浅見又蔵氏の別邸である一方、長浜の迎賓館としても役割を担った建築です。
大広間
本館1階にある大広間。中には伯爵・後藤象二郎氏の漢詩などが掲げられています。隣接する本庭がよく見える、気持ちの良い空間です。
玉座の間
本館2階にある玉座の間。明治20年(1887)の京都行幸啓の帰路、両陛下がお休みになられた場所です。中には第29代内閣総理大臣・犬養毅閣下の書が展示されています。
梅型の電灯
本館2階の玉座の間には梅型の電灯が設置されています。なかなか素敵な電灯ですね。
2階からの眺望
本会2階からは隣接する本庭の全体がよく見えます。こうしてみると、涸池に築山と起伏に富んだ庭園であることがよくわかります。
茶室「恵露庵」と露地の様子
玄関前庭と奥庭の間にあるのが茶室「恵露庵」です。本館と同じ明治20年(1887)に建設されました*1。建設当時は四畳半の茶室と廊下を隔てた待合室で構成されていましたが、現在は改修され十畳余りの広間となっています。
本庭の様子
本庭は中央部に涸池を穿ち、周囲に築山や巨石、枯滝石組を配した、起伏に飛んだ庭園となります。流れや池は枯れているものの、造りは立派な池泉回遊式庭園です。
涸池
本庭中央部は涸池が造成されています。池と表現していますが、その細長い形状から大きな川のようです。地元の方の証言で昭和10年(1935)頃には水があったことが分っていました。しかし、発掘調査の結果、池の底が砂地であり、水を溜めるような構造になっていなかったことから、現在では作庭当初は涸池であったと考えられています*2。
南東部の枯滝石組
本堤南東部には巨石を用いた枯滝石組が造られています。三尊石組にもみえる構成です。
南東部の枯流
本庭南東部の枯滝の隣には迂回するように枯流も造られており、奥から流れ発せられ、中央の涸池に注がれています。
南西部の枯流
庭園南側から涸池中央部に注ぎ込むように造られた南西部の枯流も見所の一つです。
建築、庭園いずれも見事な仕上がりとなっています。特に庭園は、七代目小川治兵衛の作庭であることが頷ける完成度の高さです。明治の庭園らしい、開放的で明るい庭園である一方、巨石を用いた滝石組が目立つなど、伝統的な手法もみられます。長浜駅に降りたら、ぜひ立ち寄りたい場所です。