2日目
京都旅行の2日目は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている産寧坂や国指定史跡・名勝の高台寺、青蓮院門跡、そして南禅寺界隈の無鄰菴、金地院庭園を散策します。
産寧坂
国が重要伝統的建造物群保存地区に選定してる産寧坂です。清水寺や八坂の塔、祇園社の近くにある門前町で、かつての京都の風情を今に伝えています。
高台寺
高台寺は太閤・豊臣秀吉公の正室である北政所ゆかりの寺院です。
東山霊山の山麓、八坂法観寺の東北にある。正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉歿後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長二年(一六〇六)に開創して寺である。(中略)造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行なったので、寺観は壮麗をきわめたという。
しかし、寛政元年(一七八九)以後、たびたびの火災にあって多くの堂宇を失い、今日残っているのは旧持仏堂の開山堂と霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等で現在国の重要文化財に指定されている。
太閤殿下子飼いの武闘派武将たちを懐柔するため、大御所・徳川家康公が高台寺に多額の援助を行なったという歴史的背景を考えると、なかなか面白い寺院です。
国指定史跡・名勝となっている「高台寺庭園」、北政所の霊廟である「霊屋」、北政所の御所車と太閤殿下の御座船の遺構が使われている「開山堂」などが見どころとなっています。
高台寺 圓徳院
高台寺のお隣にある圓徳院。北政所終焉の地としても知られています。
圓徳院の由来
豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に、高台寺建立を発願し、慶長一〇(一六〇五)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住んだ。(中略)これが今日の圓徳院の起こりであり、ねねは七七歳で没するまでの一九年間をこの地で余生を送り、この地は北政所の終焉の地となった。
圓徳院『京・東山 圓徳院』(2020.01.12 配布)
圓徳院の見どころは、なんといっても庭園です。特に北庭はその豪壮さに圧倒されます。
青蓮院門跡
高台寺から円山公園、知恩院を通り抜けた先にあるのが青蓮院門跡です。
青蓮院は天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都にある五つの門跡寺院を五ヶ室と呼んでいるその一つである。日本天台宗の祖最澄(伝教大師)が比叡山を開くにあたっては、山上に僧侶の住坊を幾つも造ったが、その一つの青蓮坊が青蓮院の起源である。
青蓮院門跡『青蓮院門跡の由緒』(2020.01.12 配布)
天明の大火の際、仮御所としても機能したことから、「粟田仮御所」としても知られています。建築物は度重なる火災や放火により、明治以後の移築や復元が多いものの、かつて御所であった雰囲気を今に伝えます。また、室町時代作庭の青蓮院庭園は京都の名庭の一つとされます。
無鄰菴
青蓮院門跡から南禅寺方面に向かい、明治の元勲、山縣有朋公の別荘「無鄰菴」を訪れました。七代目小川治兵衛により作庭された「無鄰菴庭園」があります。また、日露戦争前夜、対露外交について政友会総裁・伊藤博文公、桂太郎総理、小村寿太郎外相との会談「無鄰菴会議」が開催されたことでも有名です。
南禅寺 金地院
2日目最後の訪問先は南禅寺塔頭の金地院です。閉門時間間際でしたが、なんとか拝観できました。徳川将軍家に仕えた「黒衣の宰相」以心崇伝が住職をしていた寺院として有名です。国指定特別名勝「金地院庭園」は時間を忘れさせる名庭でした。
2日目に訪問した庭園は、京都の庭園のレベルの高さを思い知った日でした。いずれ独立した記事を書きたいと思います。