庭園情報
近代日本庭園の代表作
京都市左京区、南禅寺界隈。ここに琵琶湖疎水を水源とした近代日本庭園群があります。その中の代表作が「無鄰菴」です。コロナ禍直前の2020年1月の京都旅行で青蓮院門跡の次に訪ねました。
庭園の様子
無鄰菴の庭園を歩くと、写真や視覚で感じるよりも小規模であることに驚かされます。奥にある東山を借景として取り入れ、限られた土地の中で広大な空間をイメージさせることに成功しており、造園技術の高さを実感します。
入口
現在の入口から中に進むと、母屋の奥に広がる庭園が見えてきます。
流れ
無鄰菴の庭園には主たる池は無く、滝と流れで構成されています。従来より日本庭園のモチーフとされてきた「神仙思想」などの概念を取り除き、あくまで山縣公の理想を描いた、自然主義に則った庭園です。
州浜
流れの中流あたりには洲浜が設けられています。従来の日本庭園では、海の浜辺を表すことも多い州浜ですが、無鄰菴の洲浜は河原を描いているようで、より自然な表現となっています。
芝生と苔
山縣公は無鄰菴を芝生の庭園で作庭していました。しかし、周辺環境の影響か、一部の場所で芝生よりも苔が優勢となりました。当初は苔を好んでいなかった山縣公ですが、年月が経つにつれてその良さを認めたとのことです。
この写真では手前側が苔で、対岸が芝生で作られていることが分かります。偶然の産物とは言え、無鄰菴により深みを増したと言えます。
三段の滝
無鄰菴の流れは、最奥部にある三段落ちの滝から始まります。醍醐寺三宝院の滝を模したといわれる、大きな滝。明治23年(1890)に完成した琵琶湖疎水を水源としており、まさに近代技術を恩恵を受けている庭園と言えます。
無鄰菴会議
無鄰菴の洋館には「無鄰菴会議」が開催された一室があります。日露戦争開戦前の明治36年(1903)4月21日、立憲政友会・伊藤博文総裁、桂太郎内閣総理大臣、小村寿太郎外務大臣が無鄰菴に集まり、対露外交についての会議が行われました。この時点では「満韓交換論」に基づく外交交渉を行うことで合意されたものの、ロシア帝国の強硬な態度から翌年に日露開戦へとつながっていきました。
山縣公の卓越した構想と、それを実現させた七代目小川治兵衛。近代日本庭園の代表作と言ってよい、素晴らしい庭園でした。