まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

JPタワー


撮影:2012.07.22

建築情報

名称:JPタワー
旧称:東京中央郵便局
設計:吉田鉄郎(逓信省経理局営繕課)
竣工:1931年
用途:逓信施設(郵便局)

80年前にタイムスリップ

 東京駅の南口を出ると、真っ先に見える白い建築があります。そこは東京中央郵便局。東京駅丸ノ内本屋の歴史主義建築と対照的なモダニズム建築です。駅から至近にあり、通常の郵便局に比べると夜遅くまで営業していることもあり、重宝している方も多くいらっしゃると思います。郵便局内部の窓口に入ると、非常に洗練された近代的な雰囲気が漂います。そして、室内に掲げられている写真を見て私は驚きました。その写真は竣工当時の写真であり、そして写しだされている部屋は、現在の東京中央郵便局窓口そのものであることに気づかされます。その洗練されたデザインに機能的な空間。竣工から80年以上も経過しても十分な機能を有するこの建築は、まさしく初期モダニズム建築の代表作です。

歴史主義から逓信建築へ

 東京中央郵便局はもともと、日本橋に立地していました。現在地に移転するのは1917年(大正6年)となります。初代庁舎について、「東京中央郵便局沿革史」では、次のように記述しています。

 木造一部二階建て、外部両煉瓦化粧の瀟洒な建物であった。

 しかし、残念ながら1922年(大正11年)、木造の東京中央郵便局は火災で焼失します。それから間もなく、吉田鉄郎氏を中心として新庁舎の設計に取り掛かります。設計完了間近であった1923年(大正12年)に関東大震災が発生し、設計作業が一時中止となります。数度の予算削減の中で再設計を行い、1927年(昭和2年)より工事が着工します。そして、1931年(昭和6年)に竣工、帝都の玄関口である丸の内に時代の先端たるモダニズム建築が建ったのです。

撮影:2013.07.08
 2009年3月、この建築がにわかに世間の注目を集めます。民営化された日本郵政が東京中央郵便局を一部保存の上、高層化する再整備計画を策定しました。この計画について、鳩山邦夫総務大臣(当時)が「トキを焼き鳥にして食べるようなもの」と批判したことから保存に関する騒動が始まります。文化庁が「東京中央郵便局は重要文化財級」と国会で答弁したことも注目されました。この一連の騒動は、日本郵政が保存部分を拡大することで決着します。これに対しては、完全保存を求めていた専門家などから失望の声が多く聞かれました。一方で完全保存について報道各社もその意見が分かれるなど、経済活動と近代建築の保存の両立は非常に難しい問題であると改めて浮き彫りにしました。

初期モダニズム建築の到達点


撮影:2013.07.08
 モダニズム建築は一般人にとって、その良さが理解しにくい建築となります。かくいう私も、なかなか分からない一人です。
 「郵政省の建築の系譜」では、東京中央郵便局を次のように紹介しています。

 1931年(昭和6年)完成の東京中央郵便局は、吉田鉄郎の設計によるが、柱・梁による構成、装飾を排した単純な四角い窓の採用など、初期近代建築の代表的な作品である。

 一方、「郵政建築」では、次のように紹介します。

 東京中央郵便局も、つぶさに眺めると、意外にも古典的、様式的な香りを残していることに気づく。例えば、正面の柱型を段上に出して垂直線を強調したデザインや、基壇を取り、最上階を軒蛇腹風に扱うという3層構成である。また、正面は中央の湾曲部を含めて、3面に分けて考えられるが、いずれの面もほぼ左右対称となっている。

 東京中央郵便局は、本当にシンプルでありながら、どこか優雅な美しさを感じさせてくれます。装飾に頼らない、文字通り「端正」な美しさ。それは外観のみならず、内部の窓口にも感じられます。それこそが、「モダニズム」の真骨頂なのだと、改めて思うのです。
 2012年に新装オープンしたJPタワー。東京中央郵便局という建築にとっては「必要最低限」とすら言いにくい保存策でした。しかし、後世にもこの建築が語られ続けられる素地ができたことは喜ばしいと、今素直に思います。

参考文献

井上卓朗(2013)「東京中央郵便局沿革史」『逓信総合博物館研究紀要』Vol.4
安永三郎(2000.10)「郵政省の建築の系譜」『公共建築』Vol.42(4)
日本郵政株式会社(2008.12)『郵政建築』
矢作英雄(1984.01)「東京中央郵便局舎の設計者と竣工年月日の検証について」『日本建築学会論文報告集』Vol.335(1984.01)
「東京中央郵便局 政治家の保存活動もはね返す経済の壁」『日経アーキテクチュア』Vol.899(2009.5.11)