まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

大阪市中央公会堂


撮影:2013.07.14

建築情報

名称:大阪市中央公会堂
用途:公会堂
設計:岡田信一郎(原案)、辰野金吾、片岡安
竣工:1918年
備考:国指定重要文化財

「その秋をまたで散りゆく紅葉哉」

 大阪・中之島。ここは埋立が進んだ現代においても「水都」と形容される大阪において、とりわけ美しい景観を有する地区です。その中でも一際輝いて見える赤煉瓦の建築があります。大阪市中央公会堂です。大阪のシンボルとなっているこの近代建築は、出資者の辞世の句「その秋をまたで散りゆく紅葉哉」と共に、悲劇的な色彩をも帯びて、その美しさをより一層際立たせています。

破天荒の美挙で建設された、市民文化の殿堂


撮影:2013.07.14
 大阪市中央公会堂を語る上で、外せない人物がいます。北浜の株式仲買商、岩本栄之助です。
彼は日露戦争に出征し、凱旋帰国した後、父の家督を継ぎます。そのときの大阪株式取引所は、多くの北浜の株式仲買商の予想に反し、日露戦争後の好況で高止まりが続いていました。北浜の株式仲買商は既に空売りを行っており、このままでは破産寸前にまで追い込まれてしまいます。窮地に追い込まれた株式仲買商は、買方であった岩本栄之助に売方へ転じるよう強く要請します。要請した株式仲買商には、のちに野村証券を創設する野村徳七もいました。岩本は彼らの強い要請に応え、資産のすべてを売りに出します。これが一つのきっかけとなり、大阪株式取引所は暴落、北浜の仲間は破産の危機から救い、岩本自身も巨額の利益を手に入れます。この義侠心を伴った行動が、彼を、野村徳七、島徳蔵と並んで「北浜の三傑」とまで言われるようになりました。
 1909(明治42)年、渋沢栄一を団長とする渡米実業団が結成され、岩本も一員として加わります。この視察で岩本は、米国の寄付文化・慈善事業への投資に感銘を受け、帰国後、大阪市に民衆のための集会施設・公会堂建設のため100万円を寄付します。この公会堂建設にあたっては設計コンペが行われ、その中から早稲田大学岡田信一郎教授の案が選出されました。この案を基に辰野金吾博士らの手により実施設計が行われ1918(大正7)年に完成しました。しかし、出資者である岩本栄之助は既にこの世にはいませんでした。1916(大正5)年、岩本は株で失敗、公会堂の完成を待たずに拳銃自殺をします。その時の辞世の句が、前述の「その秋をまたで散りゆく紅葉哉」であり、完成を待たずに自らの命を絶つに至った無念が読み取れます。
 完成した公会堂はその後、様々な演劇や講演が催されるなど大いに利用されます。老朽化や中之島東部地区の再開発計画などで取り壊しが取りざたされますが、市民らの保存運動により大阪市が1988(昭和63)年に「永久保存」することを決定しました。1999(平成11)年から保存・再生工事が行われ、2002(平成14)年に完了。現在も多くの市民や団体に活用されています。

ネオ・ルネサンス式とフリー・クラシック様式


撮影:2013.07.14
 大阪市中央公会堂の建築様式はどのようなものでしょうか。まず、設計コンペで選出された岡田案について、「重要文化財大阪市中央公会堂保存・再生工事報告書」では次のように述べています。

 様式について竣工時の建築記録には「復興式中準パラデヤン式」とある。所謂ネオ・ルネサンス式と考えてよい。古典系の建築では通例オーダーと称される円柱やピラスター(付柱)の構成、そして頂部を飾るコーニスやアーキトレーブが壁面を分節し、外観の枠組が構成される。そして古典的なモチーフでデザインされた開口部が壁面に配置され、壁面と窓で織りなされる一種の諧調が与えられる。
 中央公会堂の意匠はこのネオ・ルネサンス式として概ね読み解かれるものである。

 この岡田案を辰野金吾博士らは次のように修正します。

 辰野自ら「意匠がゴツイ、枯れていない、若い」と評した岡田案を、自負を持っていた辰野式(フリー・クラシック様式)の構成へと修正を加えたこと。そして窓上部のペディメント(屋根形装飾)を付したアーキトレーブや、付柱に付された楯形飾りなどの古典的オーナメントを平面的幾何図形化したセセッション的意匠へと転換させたことである。

  
 後に明治生命館という傑作を生み出す岡田信一郎教授が原案を出し、建築界の大御所である辰野金吾博士が最終設計に関わった大阪市中央公会堂。威風堂々としていて、同時に華やいでもいる建築。そして、その影に潜む悲劇的なエピソードが、より一層この建築を稀有な存在として際立たせている気がします。そう、ここは日本の文化の中心地、上方。大阪という街の気質が、そのままこの公会堂に表れているのです。それこそが、大阪市民に愛され、支えられてきた理由のように思います。

参考文献

大阪市教育委員会(2003.03)『重要文化財大阪市中央公会堂保存・再生工事報告書』
大阪市教育委員会(1968)『大阪市中央公会堂50年誌』