建築情報
震災と戦災の資料を展示する資料館
復興記念館は、震災記念堂建設にあたり収集した震災に関する資料を展示するために建設された展示施設です。元々は震災記念堂の一画に展示品を陳列する予定でしたが、展示品の点数が多くなり、とても間に合わないことから建設が決まりました。現在では関東大震災当時の状況を伝える絵画や写真、図表、犠牲者の遺品などが展示されています。後世の人々に伝えたいという、当時の人々の悲痛な思いが伝わってきます。
建築の様子
東京都復興記念館は、東京都慰霊堂や鐘楼と異なり、公表されていません。現在では、伊東忠太博士が設計に関与し、萩原孝一氏がその下で設計したと考えられています*4。
外観
東京都慰霊堂が「純日本式」の建築に対し、復興記念館は幾分かモダンな印象を持たせます。外壁はタイルで貼られていることも、その印象を強くさせているのかもしれません*5。
側面
側面は柱が並ぶようなデザインとなっており、平滑な側面の中でも変化を与えています。かつては1階は側面の窓から、2階は天窓から採光していた名残で、窓は1階部分にしかないのも特徴です*6。
正面
正面はタイル貼りの柱を並べ、石張りの箱型の玄関を設けています。簡素な中でも威厳のある印象です*7。
頂部
頂部には短いながらも軒が張り出されて瓦が葺かれており、その下には肘木や斗組を簡略化したデザインがされています。東京都慰霊堂と調和させるよう、「日本趣味」を表現した建築と言えそうです*8。
怪獣像
慰霊堂と同様、復興記念館の正面玄関の上部には怪獣が4体設置されています。元々は石像でしたが、長年の風雨により劣化が進み欠損が激しかったものを、原設計通りのテラコッタに材質を変更したうえで復元されました*9。怪獣とは言いますが、アニメのキャラクターみたいな、なんだかかわいらしい像です
内部
記念館の内部は、1階が関東大震災に関する展示、2階が関東大震災の大型絵画や模型、東京大空襲や企画展の展示がされています。
震災記念屋外ギャラリー
復興記念館の屋外には、震災記念屋外ギャラリーとして、関東大震災の被害を伝える被災品が展示されています。こうしてみると、関東大震災の甚大な被害の様子が伝わってくるようです。
自動車の焼骸
被災品の一つ、「自動車の焼骸」は、かつて明治屋がキリンビールの宣伝に用いた自動車です。警視庁登録番号の第1号であったため、「ナンバーワン自動車」として呼ばれていました。残念ながら、関東大震災での火災により、この自動車もシャシを残し焼失してしまいます。
1階や屋外に展示されている被災品を見ると、その凄まじいほどの悲惨な状況を感じることができます。震災から100年。東京都復興記念館は、「不言の警告」を今も私たちに対して発し続けています。
*1:東京震災記念事業協会清算事務所(1932)『被服廠跡』pp204
*2:東京震災記念事業協会清算事務所(1932)『被服廠跡』pp204
*3:社団法人日本建築学会(1997)『東京都復興記念館の保存に関する要望書』https://www.aij.or.jp/scripts/request/document/970325.htm(2023.08.27 参照)
*4:社団法人日本建築学会(1997)『東京都復興記念館の保存に関する要望書』https://www.aij.or.jp/scripts/request/document/970325.htm(2023.08.27 参照)
*5:社団法人日本建築学会(1997)『東京都復興記念館の保存に関する要望書』https://www.aij.or.jp/scripts/request/document/970325.htm(2023.08.27 参照)
*6:社団法人日本建築学会(1997)『東京都復興記念館の保存に関する要望書』https://www.aij.or.jp/scripts/request/document/970325.htm(2023.08.27 参照)
*7:社団法人日本建築学会(1997)『東京都復興記念館の保存に関する要望書』https://www.aij.or.jp/scripts/request/document/970325.htm(2023.08.27 参照)
*8:社団法人日本建築学会(1997)『東京都復興記念館の保存に関する要望書』https://www.aij.or.jp/scripts/request/document/970325.htm(2023.08.27 参照)
*9:都立横網町公園『復興記念館正面怪獣像の復元が完成しました』(2023.08.08 参照)(https://tokyoireikyoukai.or.jp/news/20200821_02.html)