賀茂しょうぶ園の歴史は訪問編でも述べた通り、昭和44年(1969)に完成した、比較的新しい庭園です。しかし、隣接する賀茂神社は大変古く、また東照神君・徳川家康公とも縁が深い神社となります。
賀茂神社の創建
賀茂神社の創建は白雉元年(650)、または天平元年(729)と伝えられている*1*2など、大変古い歴史を持つ神社です。
東照神君・徳川家康公との関わり
三河出身の東照神君・徳川家康公は遠州入国、長篠への出陣で賀茂神社を参詣しています。その中でも印象深い逸話が、野田城の戦いでの関りです。社伝によると、東照神君は天正元年(1573)に甲斐武田軍に包囲された野田城を救援するため出陣するも敗走し、賀茂神社の境内にある御神木の大楠の窪みに身を隠したと言われています*3*4。野田城の戦いで勝利した武田軍ですが、その後撤退。東照神君は真意を確かめるべく同年六月に長篠へ出陣した際も参詣しています。また、天正三年(1575)の長篠の戦い出陣前にも参詣しているなど、東照神君から篤く崇敬されていることが伺え、征夷大将軍就任後の慶長八年(1603)には朱印地百石を寄進しています*5*6。
賀茂しょうぶ園の建設
賀茂しょうぶ園は、豊橋市が市北部の憩いの名所として計画を立案したことから始動します。昭和43年(1968)に賀茂神社から土地が提供され、翌44年に完成しました(開園はその翌45年)。当初から現在の景観があったわけではなく、昭和55年(1980)に太鼓橋が竣工し、あづまや、藤棚、ベンチ、水路、遊歩道、八ッ橋、沢渡等が年々整備されていき、現在に至ります*7。
地域の憩いの名所として
賀茂しょうぶ園は地域の憩いの名所として昭和時代に建設された新しい庭園です。しかし、そこに隣接する賀茂神社は1000年を超える歴史があるとも伝えられる古社であり、東照神君ゆかりの神社となります。また、徳川将軍家から朱印地百石が寄進され、戦後は豊橋市が賀茂神社の神苑とも解釈できる場所に賀茂しょうぶ園を整備していることから、地元にとって大切な神社であることが伺えます。花しょうぶが咲く季節は絶景ともいえる景観を誇る賀茂しょうぶ園。今後もこの名所が末永く美しさを保ってくれればと思いました。
賀茂しょうぶ園の最初の記事は「訪問編」です。よろしければご参照ください。