庭園情報
本陣に隣接する江戸時代の旅籠屋の遺構
愛知県豊橋市の二川宿。宿場町の中心となる二川宿本陣に旅籠屋の遺構である「清明屋」が存在します。二川宿本陣と同様、大幅な改変を受けながらも江戸時代の建築が現在にまで残る貴重な遺構です。
二川宿散策の様子については、下記のページで掲載しておりますので、よろしければご参照ください。
庭の様子
保存修理工事報告書には次のようなことが記されています。
造園は奥座敷南と便所西と土蔵や本陣玄関棟に囲まれた庭を、松竹梅などの樹木を植え伊予の青石を庭石に組み、飛び石を菰野石など使用して整備した。樹木の回りにはスギコケやタマリュウを植えて、白川砂も撒いた。通路の東脇にわ植込みをつくりアララギを植えた。また、本陣玄関棟前庭の植込みの撤去と復旧も行った。建物完成後は大きな庭石や植木などの搬入が困難となるため、建方前に仮置きをした。*1
上記の保存修理工事報告書から、旅籠屋「清明屋」の庭は工事の際に作庭されたものであるとわかります。
旅籠屋「清明屋」の室内
旅籠屋「清明屋」は二川宿本陣と同様、江戸時代の建築が現存しています。明治時代以降、家業を変えながら商いを行っていた関係で大幅な改造を受けていましたが、平成17年(2005)に保存修理工事が実施され、江戸時代の姿に復原されました。
現在の宿泊施設とは異なり壁の仕切りがないため、違和感を感じてしまいます。プライバシーの感覚が現代とあまりに異なることがよくわかる事例です。
奥座敷の庭
奥座敷の南側には中庭が設けられています。保存修理工事前から中庭は存在していましたが、報告書の写真を見ると、修理前後で植栽や石灯籠の位置や構成が異なっていることから修理後に整備されてたと考えられます。
現在の中庭は、奥座敷の室内から眺めることを意識した庭であることがうかがえます。
裏座敷の庭
旅籠屋の中をさらに進むと「裏座敷」に出ます。裏座敷は明治維新後に家業変更の過程で失われており、別の建築が建てられていましたが、古絵図や基壇を元に復原されました。庭園も保存修理工事の際に整備されたものです。
隣接する二川本陣より敷地が狭いことから、庭も目立ちませんが、特に奥座敷の南面に接する中庭は、当時の宿泊客に対するおもてなしを感じることができる庭でした。