令和4年4月、二川宿を散策しました。二川宿は東海道五十三次の一つであり、江戸時代当時の本陣や旅籠、商家が残っている国内唯一の宿場町です。町並みも江戸時代~昭和時代の面影を残しています。
二川宿本陣、旅籠屋「清明屋」、商家「駒屋」については別の記事でも紹介しておりますので、よろしければご参照ください。
二川伏見いなり
二川伏見いなりは明治43年(1910)に浦野勝雍氏が京都の伏見稲荷大社から分霊を頂いたことから始まる神社です。元々浦野氏は現在の豊橋駅近くの松葉町で布教していたのですが、昭和2年(1927)に二川駅近くの大岩へ移転して社殿を建立、現在に至ります。境内の中には御衣黄桜や源平桃といった花が咲き、社殿の裏山には峯社や摂社、末社が祀られており、巡拝できるようになっています。
御衣黄桜
関山桜
源平桃
御山巡拝
大岩神明宮
大岩神明宮は二川宿の加宿であった大岩町の氏神になっている神明社です。社伝によると文武天皇二年(698)に創建されたのが始まり。広い境内に立派な社殿があり、雰囲気の良い神社です。
商家「駒屋」
商家「駒屋」は江戸時代、二川宿で米穀商と質屋の店舗兼住宅となります。主屋は文化十一年(1814)に建築、安政二年(1856)に修繕されたもの。接続している離れ座敷は大正時代と、江戸時代から大正時代までの商家の様子を知ることができます。
二川宿本陣
- 名称:二川宿本陣
- 保護:豊橋市指定史跡「二川宿本陣」
二川宿本陣は大名や公家などが二川宿で宿泊する際に使用した建築です。江戸時代当時の本陣の建築を今に残しています。主屋は宝暦三年(1753)の火災後に建築、その後たびたび増改築を繰り返して現在の規模になりました。現在は安政年間の姿に復原して公開されています。
旅籠屋「清明屋」
二川宿本陣に隣接しているのが旅籠屋「清明屋」です。隣の本陣と異なり、こちらは庶民の宿となります。それでも、全面畳張りの清明屋は当時としてはグレードの高い宿となります。主屋は文化十四年(1817)の建築で、豊橋市へ寄贈後に江戸時代末期の姿に復原されました。
二川宿は市民の皆様の町並保存、修景への高い志が伝わってきます。現存する江戸時代の建築物に触れることができ、勉強になりました。