まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

萬翠荘


撮影:2013.12.28

建築情報

名称:萬翠荘
用途:邸宅 迎賓施設
設計:木子七郎
竣工:1911年
備考:国指定重要文化財

松山城の麓に建つ、「西洋の城」


 愛媛県松山市。ここには現存十二天守の一つであり、日本三大平山城の一つとされる「松山城」があります。その松山城の麓、「坂の上の雲ミュージアム」に隣接する形で存在するのが、「萬翠荘」です。江戸時代の立派な城郭と西洋建築の優美な邸宅は、一見すると結びつかないかもしれません。しかし、この立派な邸宅は、松山の近代史にとって、記念碑的なシンボルなのです。

「春や昔 十五万石の 城下哉」


 江戸時代、伊予松山藩はその大半を松平家が治めていました。この松平家は、元々は「久松」と称し菅原道真が源流とされます。戦国時代、久松家の三兄弟が徳川家康の「異父兄弟」の関係から「松平」の姓と「葵」を授かり、松平一門に准ずる立場となります。その三兄弟の内の一人、松平定勝の系統が伊予松山藩を治めることになるのです。後に、御三卿の田安家から養嗣子を迎え入れたことから親藩にも叙せられる存在でした。しかし、幕末の動乱の過程で、伊予松山藩は「朝敵」とされてしまいます。このことは、明治維新後の松山にとって後々まで暗い影を差すことになるのです。後年、正岡子規は江戸時代の繁栄と、維新後の没落を嘆き、「春や昔 十五万石の 城下哉」と詠いました。
 伊予松山藩を治めていた松平家は、維新で旧姓の「久松」に戻しました。維新後の1883(明治5)年、久松伯爵家の当主は久松定謨になります。帝国陸軍に所属し、後に陸軍中将にまで昇進する人物です。定謨伯は、サン・シール陸軍士官学校の留学時代、そして在仏日本公使館附駐在武官などの時代を含めると、フランスに15年間も滞在しています。このフランス生活が、後に萬翠荘を建設する際に大きな影響を与えました。
 定謨伯は予備役に編入後、久松家にとって所縁の松山に別邸を建設する計画を立てます。当時、久松伯爵家の本邸は東京にありましたが、将来的に松山に移すことも想定していたため、この別邸は定謨伯の好みに合わせ、完全な西洋風邸宅として建てられることになります。当初は1921(大正10)年から1924(大正13)年を計画していましたが、皇太子摂政宮殿下(後の昭和天皇)が香川県で行われる陸軍特別大演習を統監し、演習後に松山に行啓することになりました。その際、松山での宿泊場所として、この建設中の別邸を使用することが決定したため建設期間を短縮させ完成を急がせました。そして、皇太子殿下は大演習終了後、11月24日から24日までこの萬翠荘に滞在することになるのです。この行啓は、維新後「朝敵」とされた松山にとって、まさに「汚名を雪ぐ」絶好の機会でした。定謨伯は邸内で摂政宮殿下に、松山のこと、そして神奈川台場の築造を通じて幕末における日本国の国防の貢献について説明していきす。松山にとって、名実ともに「朝敵」という時代が終わった瞬間でもありました。

 1925(大正14)年には、定謨伯が松山に移り、萬翠荘は本邸として利用されるようになりました。その後も、皇族などの滞在場所として度々利用され、2011年には国の重要文化財に指定されました。

忠実なる「フランス・ルネッサンス様式」の建築

 『萬翠荘調査報告書』では次のように記述されています。

 本館は、フランス・ルネッサンス様式を基調とし、19世紀後半にフランス、アメリカで流行した第二帝政様式である。天然スレートと銅板で葺かれたマンサード屋根や、2階バルコニーの3連アーチの表現などにフランス・ルネッサンス様式の特徴的な要素が見られ、細部では玄関ポーチにコンポジット式付柱を備え、1階階段ホールの独立柱はコリント式とするなど、様式建築として忠実に造られている。

 上記のことからも分かる通り、基本的には様式に忠実に造られた建築であることがわかります。一方で、『萬翠荘物語』では次のようなことも指摘しています。

 正面から見ると向かって右側には搭屋があるが、左側にはそれがなく左右非対称である。

(中略) 

 基本的に「フランス・ルネッサンス様式」と呼ばれる建築様式に従いながら。敢えて左右非対称に作ることによって日本的美学を採り入れようとしたところに、設計者・木子七郎の思い、「気分」へのこだわりが窺われる。


 邸内に入ると、正面に飾られている立派なステンドグラスに目を奪われます。大海原に漂う帆船。定謨伯が幾度も欧州へ海を渡ったことを想起させます。そしてこのステンドグラスは、貴賓室から眺めると、ちょうど目線と同じ高さに帆船が描かれています。まるで自らの思い出を忘れないように。そんな定謨伯の想いが伝わってくるような邸宅、それが萬翠荘なのです。

参考文献

国立文化財機構奈良文化財研究所(2010.12)『萬翠荘調査報告書』
片上正仁(2012.4)『萬翠荘物語』