まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

南海ビルディング


撮影:2013.07.14

建築情報

名称:南海ビルディング
名称:高島屋 大阪店
名称:南海電気鉄道 難波駅
旧称:南海鉄道 難波駅
設計:久野節
竣工:1932年
備考:国登録有形文化財

大阪・ミナミの中心地

 大阪・難波。南海、近鉄阪神がターミナルを構え、地下鉄3路線が接続する鉄道の要衝の地であり、心斎橋、道頓堀、千日前など大阪きっての繁華街にも近いこの地は、大阪・ミナミの中心地となります。その中心ともいえる場所に、今回紹介する南海ビルディングがあります。この南海ビルディングには2つの顔を持っています。一つは「高島屋 大阪店」としての顔。売上高は1000億円を超え、全国でも上位に入るトップクラスの大規模百貨店となります。そして、もう一つは、「南海なんば駅」としての顔。堺・和歌山・高野山関西国際空港などに連絡する南海電鉄ターミナル駅として1日に25万人が利用する全国有数の私鉄駅なのです。

日本最古の民間鉄道会社のターミナル駅


撮影:2013.07.14
 南海電気鉄道は1884(明治17)年、日本初の純粋な民間鉄道会社として大阪堺間鉄道(後に阪堺鉄道に社名変更)が設立されたのが起源となります。翌1885(明治18)年12月に難波―大和川間、1888(明治21)年には堺まで開業します。その後、数々の会社と合併することにより大阪・難波から大阪南部・和歌山及び高野山、更には関西国際空港などを結ぶ路線網を構築することになります。
 さて、この南海電気鉄道の終着駅は一貫して難波駅でした。初代難波駅は木造土蔵造りの擬洋風建築の駅舎で、1888(明治21)年に火災で焼失します。その後、木造洋風の2代目の駅舎が建設されますが、1912(明治45)年に焼失します。そして、3代目の駅舎は辰野片岡建築事務所の設計により煉瓦造一部木造2階建ての洋風駅舎が建設されました。しかし、御堂筋の拡張工事が実施されていた昭和初期には、3代目の駅舎が手狭となっていました。そこで、今まで3代目まで単なる駅の機能しか持たせていなかったのを大規模なターミナルビルとして新たに計画しました。これが、現在につながる4代目難波駅となります。残念ながら内装は、戦後の駅ホームの移設や百貨店の改装工事によりほぼ失われたものの、外壁は当初の意匠を残しています。


撮影:2013.07.14

「當今大阪第一」のターミナルビル

 南海ビルディングの建築様式について、竣工間もない時期に出版された「南海鉄道発達史」において次のように記述されています。

 このビルデイングは復興式鐵骨鐵筋混凝土造間口九十六間、建物の高さ地上百尺、延坪約壹萬三千坪を算する建物であつて、其の面積の廣大なる事に於ては蓋し當今大阪第一と稱するも敢て誇稱ではあるまい。
・・・(中略)・・・
建物の表側外壁は凡べて國産テラコツターで張り詰め、内部の各室はその用途によつて装飾も多種多様であるが孰れも力めて簡素を旨とし華美を避けてゐる。

 建築史などを研究されている山形政昭氏は「再読 関西近代建築 ― モダンエイジの建築遺産 ― 南海ビルディング」で次のように記述しています。

 本建築の外観はテラコッタ(伊奈製陶製作)を主要外壁材とし、意匠様式は「近世復興式」すなわちネオ・ルネサンス・スタイルをとる。7階高さの外壁は基部、中間層、最上層の3層に構成され、軒頂部にはアンテフィクス飾りを並べたコーニス(軒飾り)が回る。3階より6階部分に当たる中間層23スパン(柱間)のうち14スパンの外壁面には長大なコリント式ピラスター(付柱)とラウンド・アーチを連ね、柱頭上部には花綱装飾をもつ飾り壷、アーチ頂部にはスクロール状のキーストン飾りが配されている。こうした壁面構成、及びクラシックなオーナメント装飾により格調高くかつ華やかな洋風スタイルにまとめられている。

 東武鉄道「浅草駅」でも知られる久野節氏の鉄道系建築。東京駅とはまた違う、ネオ・ルネサンス様式のターミナル駅は、西日本でも屈指の名建築です。とかく、ステレオタイプなイメージを持たれる大阪ですが、本来は東京に勝るとも劣らない品のある街なのです。そんな栄光の「大大阪」の面影を感じられる南海ビルディング。是非、大阪へお越しの際はその威容をご覧ください。

参考文献

南海鉄道株式会社(1938)『南海鉄道発達史』
山形政昭(2010.08)「再読 関西近代建築 ―モダンエイジの建築遺産― (17) 南海ビルディング(南海ビル)」『建築と社会』