まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

東京国立近代美術館 工芸館


撮影:2010.07.19

撮影:2013.06.23

建築情報

名称:東京国立近代美術館 工芸館
旧称:大日本帝国陸軍 近衛師団司令部庁舎
用途:軍事施設
設計:田村鎮
竣工:1910年
備考:国指定重要文化財

「日本のいちばん長い日」

 東京地下鉄東西線竹橋駅」を降りて少し歩いたところ、森林に囲まれた北の丸地区に突如として高速道路と共に明治の洋風建築が現れます。ここは「東京国立近代美術館 工芸館」。実はこの瀟洒な建築、戦前は「大日本帝国陸軍 近衛師団 司令部庁舎」として使用されていました。れっきとした、軍事施設です。帝国陸軍のエリート部隊として、そして様々な戦地で活躍した近衛師団の顔として、皇居を見守るように今も北の丸に残っています。


撮影:2010.07.19

 1945年8月15日、この近衛師団司令部庁舎を舞台にクーデター未遂事件が発生します。世にいう「宮城事件」です。玉音盤の奪取、ひいては玉音放送、日本降伏を阻止するのが目的でした。まず、陸軍将校たちは近衛師団司令部庁舎で近衛師団長を説得していましたが、拒絶されると師団長を殺害、偽の師団長命令を発令して近衛師団を動かしたのです。宮中の占拠は成功したものの、他に同調する部隊もなく、程なく鎮圧され、玉音放送は予定通り放送されます。

 この事件は「日本のいちばん長い日」などで映画化がなされており、その概要を知ることができます。

取り壊し決定から保存・再利用への逆転劇


撮影:2010.07.19
 戦後、近衛師団帝国陸軍と共に解体され、司令部庁舎は皇宮警察の宿舎として活用されていました。
 昭和38年以降、北の丸地区の整備事業の一環としてこの庁舎の取り壊しが検討され始めます。一方で、同時期に司令部庁舎の保存を訴える動きが徐々に見られ始めます。
 昭和41年に「既存の科学技術館および日本武道館のほか、今後は国立公文書館及び近代美術館以外の建築物の設置は、一切認めないもの」とする閣議了解がなされました。この閣議了解の見解について、建設省は「近衛師団 司令部庁舎」の撤去が明瞭になったとし、保存側は「既存建物については閣議了解事項にふれない」という見解を持ち、解釈の食い違いが発生します。
 文化財保護委員会が重要文化財指定の動きを見せる中、防衛庁が明治百年記念事業の一環として、この建物の保存並びに史料館としての利用について建設大臣などに依頼します。また、偕行社他六団体も保存を訴える陳情書を政府に提出します。そして昭和43年7月に文化庁建設省に「近衛師団 司令部庁舎」の保存を申し入れたのですが、同年8月建設省が取り壊しを決定しました。
 建設省の決定を受け、日本建築学会が政府に「近衛師団 司令部庁舎」の価値と保存についての意見書を提出します。文化財保護審議会文化庁に対し、早期に重要文化財指定の措置を取るべきと建議しました。
 (2017.05.06 加筆開始)
 建設省内部では、この動きを快くは思っていなかったようです。元建設省公園緑地課長である森尭夫氏が昭和44年に記した「北の丸公園の事業化について」で、

 現在地区内に存しながら未解決の建物に旧近衛師団司令部の庁舎があり、12月現在ではガラスが破れ手入れをされず廃屋の如く公園の南側に建っている。この建物の存置については種々の経緯があり、政治的要素が先行し、技術的判断が失はれている実例であるので敢えてここに造園的観点からの要素を記しておく。
 北の丸公園の修景は皇居の森を背景とし、期を同じくして国民に解放された三の丸地区(皇居東御苑)と一体となって森林公園を形成するものであり、その最も枢要な景観構成は田安門方面から皇居を望むビスタにある。即ち田安門から見るならば、皇居の森は借景となり元近衛師団司令部の建物の敷地周囲は密度の高い樹林地として計画すべきである。
 そのため全体の公園計画においては、その前方に北の丸公園の主体となる池泉を配置している。しかるにこの建物は公園計画とは何の関係もなく建てられており、しかも現状のままでは公園の利用者にとっては裏側をみせることとなっている。
 元よりこの建物の歴史的価値についてこれを否定するものではないので、他に移転する等の手段によりこれを存置することを望んでやまない。

 (加筆終了)
 こうした動きがあったのち、昭和46年6月、建設省が、文化庁重要文化財に指定し保存に当たるならば、建設省はこれに応ずるにやぶさかでないとの内意を伝えるに至ったのです。
 取り壊しの検討から9年、取り壊し決定から4年、ついに「近衛師団 司令部庁舎」は重要文化財に指定され、保存・再利用がなされるようになったのです。

明治の洋風レンガ造建築にして官公庁建築の遺構

 「重要文化財 旧近衛師団司令部庁舎保存整備工事報告書」によると、

 この建物は煉瓦造二階建で、小屋組は木造である。 (中略) 外壁は煉瓦積で要所に石材を混用し、窓は二連及び三連を交え、突出部には切妻壁面をみせて、全体を簡素なゴジック風の様式を整えている。
 この建造物は明治時代洋風煉瓦造建築の一典型であり、官公庁建築の遺構として貴重である。

 帝国陸軍の華である近衛師団。その司令部庁舎は、「陸軍」という固定観念的なイメージからは離れた、華やかで瀟洒な建築です。現在、このような形で保存されているのは、様々な方の「保存」への意思があったからこそなのだと、今思います。

参考文献

文化庁(1978.3)『重要文化財 旧近衛師団司令部庁舎保存整備工事報告書』
森尭夫(1969.3)「北の丸公園の事業化について」『公園緑地』Vol.29(2)(1969.3)