まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

令和5年4月 北の丸公園散策

北の丸公園 駿河台匂  撮影:2023.04.10

 令和5年4月、息子と科学技術館に向かう途中、北の丸公園を散策しました。

北の丸公園

 北の丸公園は、その名の通り、かつての江戸城・北の丸の場所にある公園です。かつては大日本帝国陸軍近衛師団が拠点を構えていましたが、敗戦後は多くの建築物を撤去して公園化されました。

北の丸公園  撮影:2023.04.10
田安門

 田安門は、かつての江戸城の門の一つで、正面の高麗門と右手奥の櫓門で構成される桝形門です。高麗門は寛永十三年(1636)に建てられたと推定されます。櫓門も同時期に建てられたと考えられますが、櫓門上部が破損のため大正末期から昭和初期にかけて撤去され、昭和36~41年度の修理で復元されました。江戸城総構の完成当初の遺構として、国の重要文化財に指定されています*1*2

江戸城田安門 高麗門  撮影:2023.04.10

江戸城田安門 櫓門  撮影:2023.04.10
武道館

 武道館は、昭和39年(1964)に建設された屋内競技場です。設計は、モダニズム建築で有名な山田守氏によるもの。これが山田守氏の建築なのかと、意外であるように感じます。実は山田氏は戦前、東京帝室博物館(現・東京国立博物館)について、その出来を警戒交じりに「存外いいじゃありませんか」と評価しています。それが、帝冠様式にも通じそうな、いかにも日本的な建築である武道館の設計につながったとも考えられます*3

武道館  撮影:2023.04.10
吉田茂

 吉田茂像は、昭和56年(1981)に建立された銅像です。訪問当日、銅像の周囲には桜が丁度見ごろを迎えていました。吉田茂閣下は、敗戦後の日本の復興に尽力した内閣総理大臣として有名です。「平和憲法」「日米安保」といった現在にまで至る戦後体制を構築しました。現体制が構築され70年以上が経過し、ウクライナ戦争や北朝鮮、台湾有事の危機が迫り、世間では「新しい戦前」という言葉が浸透しつつある現在、吉田閣下は何を思っているのでしょうか。

吉田茂像  撮影:2023.04.10

北の丸公園 駿河台匂  撮影:2023.04.10

北の丸公園 一葉  撮影:2023.04.10
科学技術館

 科学技術館は、昭和39年(1964)に開館した博物館で、館内には科学技術や産業技術について実際に見たり触ったりしながら学べる施設です。基本的には青少年向けの施設ですが、大人が見ても楽しい施設でした。2歳の息子も、クレーンの操作などに夢中になっていました。

科学技術館  撮影:2023.04.10

 当日は旧近衛師団司令部庁舎まで行きたかったのですが、息子の機嫌が微妙な感じになったので、今回はお預けです。それにしても、遅咲きが幸いして、北の丸公園でも綺麗な桜がみれて良かったです。

*1:『現地解説板 重要文化財 旧江戸城田安門』(2023.04.18 参照)

*2:文化庁『国指定文化財等データベース』https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/500https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/501(2023.04.18 参照)

*3:豊川斎赫(2023)「帝都の武徳殿構想と日本武道館コンペに関する研究」『日本建築学会計画系論文集』88巻 806号