庭園情報
東海道・二川宿に残る本陣
愛知県豊橋市。ここに東海道の宿場町であった名残が色濃く残る二川宿があります。その二川宿の中心的な存在が二川宿本陣です。
二川宿散策の様子については、下記のページで掲載しています。
庭の様子
二川宿本陣は昭和60年(1985)に所有者の馬場家から豊橋市へ寄贈された後、安政二年(1855)の姿に戻す改修復原工事を経て平成3年(1991)に一般公開されました。
主屋の庭
主屋は改造を受けながらも江戸時代の建築が現存していました*1。しかし資料に掲載されている改修復原工事前の写真には、現在見られる主屋の庭が確認できない*2ことから、改修復原工事で再整備されたものと考えられます。
玄関棟前庭
玄関棟も主屋と同様、江戸時代の建築が現存していました。ただし、資料を確認すると、玄関棟は倉庫等に改造されており、玄関棟前庭も荒廃が進んでいた*3ため、改修復原工事でかつての姿に戻しています。現在の姿をみると、大名や公家たちが出入りしていたころを想像できますね。
繋ぎ棟の坪庭
繋ぎ棟の坪庭部分は、丁度玄関棟と書院棟の境目となります。ここは豊橋市に寄贈されたときには倉庫となっていたこと*4や、改修復原工事概要報告書に掲載されている修理前の写真*5から復元工事の際に整備されたものと考えられます。
坪庭の奥は厠となっていることから手水鉢が設置されており、手水所も兼ねた作りになっています。景観もさることながら実用的でもありますね。
書院棟の坪庭
書院棟の控えの間の奥、湯殿に隣接する空間にも坪庭が設けられています。書院棟も豊橋市に寄贈された当時は工場となっていたことから*6、改修復原工事の際に整備されたものと考えられます。
繋ぎ棟の坪庭と同様、書院棟の坪庭も厠が奥に設けられているため、手水所も兼ねた作りになっています。
書院棟の庭
書院棟は明治維新後の宿駅制度廃止後に取り壊され工場が建てられていました*7。そのため、この庭は平成元年~同3年(1989~1991)の書院棟復原工事で整備されたものと考えられます。
書院棟の縁側に出ると、庭の全体像が見えてきます。海を表している白砂に亀島と思われる島が二つ設けられている構成です。
資料を確認する限り、二川宿本陣の庭はいずれも平成初期の改修復原工事の際に整備されたものと考えられますが、建築とよく調和されており、格調の高さが感じ取れます。
*1:澤村喜久夫(2007)『二川宿本陣耐震補強工事報告書 附 二川宿本陣改修復原工事概要報告書』p124-125
*2:澤村喜久夫(2007)『二川宿本陣耐震補強工事報告書 附 二川宿本陣改修復原工事概要報告書』p150
*3:澤村喜久夫(2007)『二川宿本陣耐震補強工事報告書 附 二川宿本陣改修復原工事概要報告書』p124-125
*4:澤村喜久夫(2007)『二川宿本陣耐震補強工事報告書 附 二川宿本陣改修復原工事概要報告書』p112
*5:澤村喜久夫(2007)『二川宿本陣耐震補強工事報告書 附 二川宿本陣改修復原工事概要報告書』p155
*6:澤村喜久夫(2007)『二川宿本陣耐震補強工事報告書 附 二川宿本陣改修復原工事概要報告書』p112
*7:澤村喜久夫(2007)『二川宿本陣耐震補強工事報告書 附 二川宿本陣改修復原工事概要報告書』p105