建築情報
悲劇の地に建つ、「不言の警告」を今に伝える建築
東京都墨田区横網、ここに関東大震災と東京大空襲の犠牲者を弔うために整備された公園があります。この地は、関東大震災において火災旋風が襲来し、当地に避難していた3万8千人もの人々が焼死しました。この悲劇の地に、関東大震災の犠牲者の霊を追弔すると共に、「不言の警告」を後世の人々に伝え続けるために建築されたのが、震災記念堂(後の東京都慰霊堂)となります。
続きを読む*1:文化庁『国指定文化財等データベース』https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2249(2023.04.21 参照)
*2:文化庁『国指定文化財等データベース』https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2249(2023.04.21 参照)
*1:風見鶏の館『風見鶏の館について』https://kobe-kazamidori.com/history/(2023.04.19 参照)
*2:風見鶏の館『風見鶏の館について』https://kobe-kazamidori.com/history/(2023.04.19 参照)
*3:文化庁『国指定文化財等データベース』https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2248(2023.04.19 参照)
日光東照宮、輪王寺からほど近い場所に、日光田母沢御用邸記念公園があります。ここは、皇太子嘉仁親王殿下(後の大正天皇)の御静養地として造営された御用邸で、大正天皇、昭和天皇、そして現在の上皇陛下の三代にわたってご利用されました。どことなく穏やかで雅な雰囲気の漂う御用邸です。敗戦後は栃木県が所有し、宿泊施設や博物館として活用された後、平成12年(2000)に「日光田母沢御用邸記念公園」として開園、平成15年(2003)には国の重要文化財に指定されました。
訪問当日の様子は下記のページでも掲載していますので、よろしければご参照ください。
続きを読む幕末、明治維新を一外交官として関わり、その後駐日英国公使や駐清英国公使を務めたアーネスト・サトウ卿。彼が駐日英国公使時代に奥日光で別荘を建てたことはあまり知られていません。その後別荘は歴代の駐日英国大使へと引き継がれ、現在では「英国大使館別荘記念公園」として一般公開されています。
訪問当日の様子は下記のページでも掲載していますので、よろしければご参照ください。
*1:日光自然博物館『英国大使館別荘記念公園』https://www.nikko-nsm.co.jp/british.html(2022.12.30 閲覧)
*2:日光自然博物館『英国大使館別荘記念公園』https://www.nikko-nsm.co.jp/british.html(2022.12.30 閲覧)
*3:英国大使館別荘記念公園『現地解説板 サトウの別荘へのこだわり』(2022.08.12 閲覧)
*4:井戸桂子(2009)「アーネスト・サトウにとっての日光中禅寺」『駒沢女子大学 研究紀要』p40
*5:英国大使館別荘記念公園『現地解説板 こだわりの庭園で植物を楽しむ』(2022.08.12 閲覧)
*6:英国大使館別荘記念公園『現地解説板 こだわりの庭』(2022.08.12 閲覧)
*7:日光自然博物館『英国大使館別荘記念公園』https://www.nikko-nsm.co.jp/british.html(2022.12.30 閲覧)
*8:日光自然博物館『英国大使館別荘記念公園』https://www.nikko-nsm.co.jp/british.html(2022.12.30 閲覧)