令和4年10月、都民の日に江戸東京たてもの園を再訪しました。今年7月に散策して以来、2回目の訪問です。結局今回も全部は回り切れませんでした。
江戸東京たてもの園
江戸東京たてもの園は、江戸・東京の歴史的建築物を移築保存した上で、屋外展示をしている野外博物館です。コンセプトとしては愛知県犬山市にある博物館明治村に近いものがあります。
東京都交通局7500形電車
東京都交通局7500形電車は日本車輌製造、新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で製造された路面電車です。江戸東京たてもの園に展示されている7514号車は昭和37年(1962)に新潟鐵工所で製造された車両で、昭和53年(1978)に除籍されるまで、青山車庫等で活躍しました。ワンマン化改造や車体更新を行われていないため、登場時の姿を色濃く残している車両でもあります。
丸二商店(荒物屋)
丸二商店は、昭和時代初期に現在の千代田区神田神保町に建てられた看板建築です。昭和20年中頃まで荒物屋を営んでいました。ファザードは銅板張りで、よく見ると「青海波」「網代」など、江戸小紋の模様に基づいて銅板が張られています。
花市生花店
花市生花店は、昭和2年(1927)に現在の千代田区神田淡路町に建てられた看板建築です。生花店として建てられた建築らしく、銅板に花のレリーフが描かれています。
武居三省堂(文具店)
武居三省堂は、昭和2年(1927)に現在の千代田区神田須田町に建てられた看板建築です。店舗の部分は戦前の文具店らしく、筆、墨、硯等がズラッと並んでいます。
万徳旅館
万徳旅館は、江戸時代末期から明治時代初期に現在の東京都青梅市に建てられた旅館です。平成5年(1993)まで営業が続けられていた旅館で、外観は建築当初、内部は昭和25年(1950)頃の様子を復元しています。どことなく、豊橋市にある二川宿本陣や旅籠屋清明屋を思い出す造りです。
仕立屋
仕立屋は、明治12年(1879)に現在の東京都文京区向丘に建てられた町家建築です。昭和初期はテーラー、戦後は八百屋を営んでいました。明治時代の建築ですが、江戸時代以来の伝統である「出桁造り」で建てられた町家です。
子宝湯
子宝湯は、昭和4年(1929)に現在の足立区千住元町に建てられた銭湯です。昭和63年(1988)まで営業を続けていました。玄関、脱衣場は伝統建築を思わせる造りの一方、浴室は洋風の印象を受けます。
鍵屋(居酒屋)
鍵屋は、安政三年(1856)に現在の台東区下谷に酒問屋として建てられた建築です。昭和時代初期に一杯飲み屋を始め、昭和24年(1949)に本格的に居酒屋を始めたそう。元々は平屋でしたが、大正時代初期に二階部分が増築されました。幕末から残る、貴重な江戸の町家建築です。
小寺醤油店
小寺醤油店は、昭和8年(1933)に現在の港区白金に建てられた建築です。醤油店を名乗っていますが、醤油のほかに日本酒、味噌、缶詰などを扱っていました。仕立屋や鍵屋と同じく、出桁造りの町家となります。
川野商店(和傘問屋)
川野商店は、大正15年(1926)に現在の江戸川区南小岩に建てられた町家です。店内では和傘が置かれているほか、渡り廊下には傘の歴史や製造工程が解説されています。こちらも出桁造りで、江戸時代以来の町家の特色を継承している建築です。
大和屋本店(乾物屋)
大和屋本店は、昭和3年(1928)に現在の港区白金台に建てられた看板建築です。他の看板建築とは異なり、軒下部分に出桁造りの意匠を用いるなど、和風の印象を受けます。
植村邸
植村邸は、昭和2年(1927)に現在の中央区新富に建てられた看板建築です。旧所有者の植村三郎氏は時計・貴金属を扱う商売を行っていましたが、訪問販売が主だったこともあり、建築内に店舗スペースが存在しないのが特徴。植村氏自身がこの建築を設計したと伝えられています。
村上精華堂(化粧品屋)
村上精華堂は、昭和3年(1928)に現在の台東区池之端に建てられた看板建築です。当時、化粧品は薬事法の適用外だったようで、この村上精華堂では奥の作業場で化粧品を製造していました。ファザードはイオニア式オーダーの存在が、他の看板建築とは異なる、優雅な印象を与えてくれます。
万世橋交番
万世橋交番は、明治時代後期に現在の千代田区神田須田町の旧万世橋駅付近に設置されていた交番です。旧万世橋駅の痕跡を伝える貴重な建築として、江戸東京たてもの園で大切に保存されています。
田園調布の家
田園調布の家(大川邸)は、大正14年(1925)に現在の大田区田園調布に建てられた住宅です。田園調布というと、関東における高級住宅地の代名詞ですが、この大川邸は中堅層を販売対象とした「瀟洒」な住みやすそうな住宅という印象です。
前川國男邸
前川國男邸は、昭和17年(1942)に現在の品川区上大崎に建てられた建築家・前川國男氏の自邸です。戦時中で建築資材が不足がちであったり、法令で延床面積100㎡以上の住宅の建築が制限される状況下で建てられています。しかし、そのような背景を全く感じさせない、広々とした空間を創出しているのは、さすがといったところです。
小出邸
小出邸は、大正14年(1925)に現在の文京区西片に建てられた住宅です。設計者は建築家・堀口捨己氏。小出邸は彼の数少ない現存作品であり、実質的な処女作となります。和と洋が絶妙に調和している、住みやすそうな住宅です。
デ・ラランデ邸
デ・ラランデ邸は、現在の新宿区信濃町にあった洋館です。元の建築は、気象学者・物理学者である北尾次郎氏が自ら設計して建てた平屋建ての洋館。それを明治43年(1910)頃、建築家のゲオルグ・デ・ラランデ氏(Georg de Lalande)が3階建てに増改築したのが現在に残るデ・ラランデ邸となります。大きな赤い屋根がかわいらしい印象を与えてくれる洋館です。
会水庵
会水庵は大正時代の頃、新潟県長岡市に建てられた茶室で、昭和2年(1927)に吉祥寺、そして昭和32年(1957)に現在の杉並区西荻に移築されました。敷地の都合上、茶室の露地は縮小されていますが、雰囲気良くまとめられています。
2回目の江戸東京たてもの園でしたが、魅力的な建築が多く、今回もすべてを回ることができませんでした。またじっくり鑑賞したいですね。