まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

御薬園【訪問編】

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「御薬園」 撮影:2021.05.01

庭園情報

  • 名称:御薬園
  • 起源:永享四年(1432)
  • 修補:元禄九年(1696)
  • 作庭:(修補)目黒浄定
  • 保護:国指定名勝「会津松平氏庭園」

会津松平家の名庭

 福島県会津若松市。長年、会津松平家が統治していたこの地に東北地方きっての名庭「御薬園」が存在します。その起源は永享四年(1432)まで遡るといわれ、その後会津松平家により園内に薬草園が設けられたことから「御薬園」と呼ばれるようになったといいます。

庭園の様子

 戊辰戦争の主戦場となった会津若松ですが、御薬園は新政府軍の治療所として活用されたことから、奇跡的に被害が少ないまま現在までに残されています。本園は「心字の池」を中心とする庭園と「薬用植物標本園」と呼ばれる薬草園で構成されています。

心字の池・亀島

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「御薬園 心字の池」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 心字の池」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 亀島」 撮影:2021.05.01

 御薬園の中央にある心字の池には中島が築かれています。この中島は現地案内板では「亀島」と紹介されています。

五葉松

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「御薬園 五葉松と楽寿亭」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 五葉松」 撮影:2021.05.01

 御茶屋御殿から園路左手に進むと、立派な五葉松に出会います。御薬園の五葉松は園内最古の「樹齢500年」とされています。

三層塔

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「御薬園 三層塔」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 三層塔」 撮影:2021.05.01

 女滝に向かう園路の途中に古風な三層塔が設置されています。この三層塔、園内の案内板には「伝鎌倉初期」と書かれており、古めかしい印象を与えてくれます。「会津松平氏庭園石造三重塔」として福島県重要文化財に指定されています。

女滝

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「御薬園 女滝」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 女滝」 撮影:2021.05.01

 御薬園にある2つの滝の一つ。女滝は幅広の穏やかな滝となります。後述しますが、この滝付近からの眺望は素晴らしいの一言です。

女滝からの眺望

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「御薬園 女滝からの眺望」 撮影:2021.05.01

 女滝から楽寿亭、御茶屋御殿の方向の眺めは、御薬園のハイライトとでも言うべき景観です。

楽寿亭

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「御薬園 楽寿亭」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 楽寿亭」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 楽寿亭」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 楽寿亭」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 楽寿亭の濡縁に残る刀傷」 撮影:2021.05.01

 楽寿亭は心字池の中島に建てられた茶室です。会津松平家三代当主、松平正容朝臣命名されました。楽寿亭の濡縁には、戊辰の役の際の刀傷とされる傷が残っています。

男滝

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「御薬園 男滝」 撮影:2021.05.01

 御薬園にある2つの滝の一つ。女滝と比べて幅が狭く、勢いがある滝となります。

枯沢

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「御薬園 枯沢」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 枯沢」 撮影:2021.05.01

 枯沢は御薬園の中で唯一の枯滝の石組です。築山の斜面を白石で敷き詰めるようにして流れを表しています。会津松平家時代は舟に乗って眺めていたといいます。

御茶屋御殿

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「御薬園 御茶屋御殿」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 楽寿亭と御茶屋御殿」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 楽寿亭と御茶屋御殿」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 御茶屋御殿」 撮影:2021.05.01

 御茶屋御殿は元禄九年(1696)に建築された御殿で、会津松平家の歴代当主の休息などに使用されていました。戊辰の役後、松平容保卿が謹慎や住まいとしても使用しています。

重陽

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「御薬園 重陽閣」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 重陽閣」 撮影:2021.05.01

 重陽閣は松平容保卿の孫にあたる秩父宮妃勢津子殿下(当時は松平節子姫)が会津若松に宿泊される際に建てられた旅館「新滝」の別館のうち2・3階部分を移築したもの。勢津子妃殿下より「重陽閣」と命名されています。

薬用植物標本園

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「御薬園 薬用植物標本園」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 薬用植物標本園」 撮影:2021.05.01

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「御薬園 薬用植物標本園」 撮影:2021.05.01

 会津松平家統治時代に薬草を栽培していた跡地に作られた薬用植物標本園。薬草園時代の雰囲気を感じることができます。

 戊辰の役の激戦地となった会津若松。その中で、会津松平家時代の様子を今に伝える貴重な存在なのかもしれません。