神戸旅行、3日目は午前に神戸を代表する日本庭園である相楽園、午後に神戸旅行の定番である北野異人館街を訪ねました
神戸メリケンパークオリエンタルホテル
神戸旅行の最終日、朝目覚めると、ホテルのベランダから朝焼けの神戸港が眼下に広がっていました。関西経済を支える神戸港の朝。朝食までの時間、ベランダからの眺望を楽しみました。
相楽園
相楽園は、実業家・小寺泰次郎氏の本邸として造営された庭園です。明治末年頃の完成とされ、昭和16年(1941)に神戸市の所有となりました。第二次世界大戦の戦災により多くの建造物が焼失しましたが、神戸市により旧ハッサム住宅や船屋形等が移築され、景観を整えています。訪ねたのは10年ぶりですが、当時は日本庭園にそこまで興味がなかったため、今回はじっくり鑑賞しました。なかなか見ごたえのある、良い庭園です。
蘇鉄園
小寺家本邸時代、相楽園は「蘇鉄園」として呼ばれていました。その由来となった蘇鉄が現在でも密集して植えられています。神戸に居ながら、なんとなく南国に居るような不思議な感覚になりますね。
旧小寺家厩舎
旧小寺家厩舎は、明治43年(1910)に建築された厩舎です。設計は、河合浩蔵氏によるもの。相楽園内に残る、旧小寺家本邸時代の数少ない遺構の一つです。国の重要文化財に指定されています。
旧ハッサム住宅
旧ハッサム住宅は、明治35年(1902)にインド系英国人貿易商であったJ.K.ハッサム氏の邸宅として建築されました。元々は北野異人館街にあった異人館でしたが、神戸市が当時の所有者である神戸回教寺院から寄贈を受け、保存管理のため昭和38年(1963)相楽園に移築されました。北野異人館街の保存運動のきっかけの一つとなった名建築で、国の重要文化財に指定されています。
北野異人館街
相楽園の散策を終え、昼食を食べた後、北野異人館街へ向かいました。
北野異人館街は、慶応三年十二月七日(1868年1月1日)の神戸開港後、神戸居留地の用地が不足するようになりました。居留地の拡大は、治外法権区域の拡大となるため、明治政府としては容認できません。そこで、生田川と宇治川に挟まれた区域を雑居地として設定しました。その中で、六甲山の山麓に位置する北野町は神戸港に入港する船舶を見渡せる高台にあり、居留地へつながる道路も整備されていたため、多くの外国人が住むようになりました。その後、第二次世界大戦での戦災や、戦後の高度経済成長期でビルやマンション建設により異人館の破壊が進みましたが、1970年代から観光地として注目を集め、現在に至ります。
風見鶏の館(旧トーマス住宅)
風見鶏の館は、明治42年(1909)にドイツ人貿易商G.トーマス氏の邸宅として建築されました。設計は、ゲオルグ・デ・ラランデ氏によるもの。北野異人館街が観光地化するきっかけとなった異人館でもあり、国の重要文化財に指定されています。
萌黄の館
萌黄の館は、明治36年(1903)にアメリカ合衆国総領事ハンター・シャープ氏の邸宅として建築されました。風見鶏の館とはまた違う、雰囲気の良い邸宅です。こちらも国指定重要文化財となります。
うろこの家
うろこの家は、明治時代後期に高級借家として建てられました。その後、大正時代に現在地へ移築されたとのことです。外壁のスレートの形状がうろこに似ていることから、うろこの家と呼びれるようになりました。
ラインの館
ラインの館は、大正4年(1915)にフランス人のJ.R.ドレウェル夫人の邸宅として建築されました。昭和53年(1978)に神戸市が購入し、一般公開されています。名称の由来は、元住人であったオーバーライン氏の故国であるドイツのライン川と、壁面の下見板の直線美から。他の異人館と異なり、無料で公開されています。
こうして、2泊3日の神戸旅行を終えました。日本庭園に興味を持ってから初めて訪ねた相楽園は、なかなか見ごたえのある庭園でした。観光客の周遊ルートからは少し離れているため、あまり目立っていませんが、もっと注目されても良いように感じます。北野異人館街は、妻と息子の体力も考えて4館のみにしました。部屋の中を見学すると、家主たちのかつての生活を想像できるようで楽しかったです。振り返ると、いろいろな所を観光できた旅行でした。また余裕ができたら、神戸に行きたいですね。