
庭園情報
日本資本主義の父が造営した庭園
明治時代に日本の資本主義の基盤を作り上げた渋沢栄一翁。翁の終の棲家として選んだのが東京・飛鳥山でした。第二次世界大戦の空襲で本邸を含む多くの建築が焼失しましたが、現在でも飛鳥山公園にある「旧渋沢庭園」としてその遺構が残っています。
庭園の様子
青淵文庫



青淵文庫は大正14年(1925)に竣工した建築。80歳と子爵への昇爵を祝して竜門社から寄贈されました。本来の目的は渋沢子爵が所有する書籍の収蔵庫でしたが、竣工直前に発生した関東大震災により書籍の多くを焼失、竣工後は接客施設としても活用されています。平成17年(2005)に国の重要文化財に指定されました。
晩香廬


晩香廬は大正6年(1917)に竣工した洋風茶室。渋沢翁の喜寿を祝し、㈾清水組(現・清水建設㈱)から寄贈されました。竣工後は国内外の賓客を接遇する施設として活用されています。平成17年(2005)に青淵文庫とともに国の重要文化財に指定されました。
茶席待合・無心庵・知還亭跡の露地






青淵文庫を東の方向へ進むと茶室(無心庵・知還亭)がかつてあったところに出ます。この付近では茶室の露地として作庭されていました。特に無心庵付近は飛び石や蹲が当時のままに残されており、かつての露地の雰囲気を感じさせてくれます。
崖庭



鉄道敷地に隣接する崖下にある庭。荒廃しているものの、自然主義庭園であった姿を留めています。崖であることを活かして小規模ながら滝を設け、また水辺には石橋を架けているなど、ここが庭園であったことを物語っています。
旧渋沢庭園といえば、国の重要文化財に指定されている青淵文庫や晩香廬といった建築が有名です。しかし、さらに奥を探索すると露地の跡や、自然主義庭園の崖庭が残っているなど、思いのほか当時の雰囲気が残っています。先行研究でも指摘されている通り、ある程度復元、整備がなされたら、より文化財としての価値を高められると、渋沢翁の面影を感じながら思いました。