庭園情報
- 名称:六義園
- 旧称:武蔵川越領(後、甲斐甲府、大和郡山)柳沢家下屋敷「六義園」
- 旧称:岩崎家駒込別邸
- 作庭:柳沢吉保
- 完成:元禄十五年(1702)
- 住所:東京都文京区本駒込6-16-3
- 備考:国指定特別名勝
江戸に残る和歌を主題とした名園
東京・駒込。ここに五代将軍・徳川綱吉公の御側御用人として頭角を現し、老中格まで上り詰めた甲斐甲府領主・柳沢吉保卿が築いた名園・六義園があります。
六義園は和歌を主題とした庭園であると言われています。なるほど、確かに和歌の世界を再現しようとしています。但し、和歌で歌われる内容は様々です。和歌の浦、吉野、唐土、日本神話。訪問した人の教養が試される庭園とも言えます。
庭園の様子
前述の通り、六義園は和歌を主題にした庭園で、「六義園八十八境」という和歌などにちなむ名勝・風景を八十八箇所で写していました。また、後年には霊元上皇が「十二境、八景」をお選びになられています。今回はこれらの一部を紹介していきます。
和歌の浦
和歌の浦の 松の綠も 色添て
霞むそ厭ぬ 春の曙
中書王邦永「若浦春曙」『勅撰六義園八景』
勅撰六義園八景の一つ、「若浦春曙」として選ばれています。現在の和歌山県にある和歌の浦は、昔から景勝地として知られ、多くの歌人にも詠われていました。六義園は和歌の浦を大池泉で再現しています。
妹背山・玉笹
妹と背の 山の下行 川水に
映るや松も 相生の陰
黄門輝光「妹背山」『勅撰六義園十二境』
いもせ山 中に生たる 玉ざゝの
一夜のへだて さもぞ露けき
左京権大夫信実『新撰和歌六帖』
中ノ島にある妹背山は勅撰六義園十二境・六義園八十八境の一つ。六義園八十八境では「妹山」「背山」でわかれています。二こぶのように見える築山の内、右側が妹山で、少し高くなっている左側が背山です。この築山は和歌の浦の妹背山をモデルにしています。近くにある「鶺鴒石」の存在などから、日本神話における伊弉諾尊と伊弉冉尊の国生み神話に基づく作庭と思われ、子孫繁栄を願う意図が濃厚に感じられます。
玉笹は六義園八十八境の一つ。妹背山の前にそびえるように立つ石です。冒頭に記した和歌の通り、男女の仲になった二人が乗り越えるべき障害を可視化した石となります。
蓬萊島
蓬萊島は六義園作庭当初には無かった石組で、明治維新後の岩崎家駒込別邸時代に作られたと言われています。小ぶりながら、絵になる奇岩です。
紀川上
見ずや此 汀を淸み 玉拾ふ
紀の川上の 水の岩が根
黄門基長「紀川上」『勅撰六義園十二境』
朝もよひ きの川上を 詠れば
かねのみたけに 雪ふりにけり
紀川上は勅撰六義園十二境・六義園八十八境の一つ。かつては千川上水から水源を得ており、川の上流になぞらえて作庭されています。六義園は全般的に石組については大人しいのですが、ここ紀川上付近だけは、石を多く用いて険しさを表現しています。
尋芳径
勝日尋芳泗水濱
無邊光景一時新
等閑識得東風面
萬紫千紅總是春
朱文公『春日』
尋芳径は六義園八十八境の一つ。こちらは朱文公の漢詩『春日』に因む名称。朱文公は朱子学の開祖、朱熹の諡です。本来の「尋芳」は「花をたずねる」という意味ですが、ここでは
「芳」は「吉野」の意味も掛けており、吉野をたずねる意味も備わっています。六義園は和歌の浦の写しが有名ですが、吉野もまた、六義園のテーマです。
藤代峠
ふぢしろの みさかをこえて 見わたせば
かすみもやらぬ 吹上の浜
僧正行意『新後撰和歌集』
藤代峠は勅撰六義園十二境・六義園八十八境の一つ。熊野古道の入り口であり、有馬皇子の悲劇で知られている藤白坂に因む築山です。藤代峠からみる眺望は六義園の中でも屈指のビューポイントの一つとなります。また、5月に訪問するとツツジが咲き誇る藤代峠をみることができます。
宿月湾・渡月橋
玉津島 やどかる月の 影ながら
よせくる波の 秋のしほかぜ
わかの浦 芦べのたづの なく聲に
夜わたる月の 影ぞ寂しき
宿月湾・渡月橋は共に六義園八十八境の一つ。いずれも和歌の浦の景勝地を写したものとなります。芦邊茶屋跡の高台から宿月湾・渡月橋方面の眺めは、六義園のビューポイントの一つです。
つつじ茶屋
つつじ茶屋は明治維新後の岩崎家所有時代に建てられた亭です。岩崎家時代には多くの亭が建てられたそうですが、現存するのはこのつつじ茶屋のみとのこと。山陰橋からみるつつじ茶屋は絵になります。なお、つつじ茶屋の付近は唐土の世界を再現したエリア。付近の流路「剡渓流」は中国の故事に因んで名付けられています。
水香江
水香江は六義園八十八境の一つ。かつては水が流れていましたが、大正期に埋め立てられ、現在は枯池となっています。名称の由来は中国の杜甫、李白の漢詩と華厳経の世界観から。
六義園では最初の解説から、和歌や景勝地・和歌の浦のイメージが先行してしまいます。しかし、実際に注意深く見ていくと、和歌はもちろんの事、漢詩、仏教、日本神話といった、当時の教養を総動員して造形されていることに気づかされます。柳沢吉保卿の教養の深さを感じ取れると共に、豪快な石組が無い大人しい印象とは裏腹に、来訪者を試しているようにも見える庭園です。