庭園情報
鶴ヶ城内にある千家ゆかりの茶室
福島県会津若松市の象徴である鶴ヶ城(若松城)本丸の一角に、千家ゆかりの茶室があります。天正十九年(1591)千利休切腹後、利休七哲の一人である蒲生氏郷卿は娘婿である千少庵を会津で匿いました。その時に造られたのがこの茶室麟閣と言われています。
露地の様子
鶴ヶ城本丸内にある麟閣。戊辰戦争後、鶴ヶ城と一緒に麟閣が解体されることを惜しんだ茶人・森川善兵衛氏により自邸に移築され、以後100年以上保存されていきました。その後、平成2年(1990)に茶室麟閣が鶴ヶ城内に移築されることになり、あわせて露地も復元されています。
寄付
客人が身支度を整える際に使用する施設。現地案内板によると森川家からの移築、復元したものです。
腰掛待合
亭主の迎えを待つための施設。現地案内板によると、これも森川家からの移築、復元したもの。
蹲踞
茶室に入る前に、手水を用いて手や口を清めていました。この蹲踞は若松城の遺構を用いて復元されています。
麟閣
福島県の重要文化財に指定されている麟閣。茶室の主要部となる三畳台目席とそれに隣接する鎖の間(蒲鶴亭)などで構成されています。茶室の構成から、古田織部の燕庵との類似性が指摘されています。
麟閣・三畳台目席
茶室麟閣の主要部となる三畳台目席・躙口や窓から覗くことしかできませんが、中には千少庵が削ったとされる赤松の床柱を見ることができます。
鎖の間(蒲鶴亭)
三畳台目席の横に設けられた鎖の間。蒲鶴亭とも呼ばれている、書院風の一室となっています。
蒲生家統治時代からの遺構である茶室麟閣。戊辰戦争後の消失の危機を乗り越え、100年以上の時を経て再び鶴ヶ城に戻ってきました。それはまるで断絶の危機から見事に再興した千家と重なります。麟閣は、千家、そして鶴ヶ城にとって、連続性・正統性を証明するものなのかもしれません。