庭園情報
知る人ぞ知る、昭和の庭園
名鉄名古屋本線・国府駅から徒歩10分にある大寶山西明寺。平安時代から続き、神君東照大権現こと徳川家康公にもゆかりのある古刹です。明治時代のドイツ人医師、ベルツ博士の供養塔があることでも知られています。このお寺の本堂の裏に、非常に立派な日本庭園が存在します。インターネット上では、小堀遠州ゆかりのお庭とも紹介されることもありますが、実際は昭和時代に作庭された新しい庭園です。
庭園の様子
三尊石組
庭園東側の入り口には三尊石組が出迎えてくれます。まるで、ここから寺院の庭園の始まりであることを示してくれるようです。
築山からの眺望
庭園の入り口から築山を上った際の眺望です。午前中に訪問すると、太陽の光が日本庭園を照らしてくれます。放生池には蓮の葉が太陽の光に反射し、まるで浄土の世界を表しているようです。
枯滝
放生池の西側に枯山水による枯滝が造られています。築山の西側中腹に置かれた黒い石から放生池へ流れるような表現です。
護岸
放生池の護岸には大小さまざまな石を配置することにより、より勇壮な印象をうけるようになっています。護岸については、澤田天瑞氏が次のように指摘しています。
池泉の護岸は、山側は立石を主とし、建物側は伏石、横石を主として使い、庭に立体感を見せている。
澤田天瑞(1995)「西明寺庭園」『中部庭園同好会庭園資料集 第4輯』
澤田氏の指摘通り、写真で見ても分かる通り築山側は主に立石、書院側は主に伏石や横井氏が配置されています。
鶴島
放生池の中央正面付近には出島が築かれています。この出島は先端に細長い石、出島中腹部に羽に見立てた石を設置した鶴島となっています。
亀島
放生池の東側に中島が設けられています。この中島は亀の形を模した亀島となっており、鶴を模した出島の方向を向くように造られています。写真右奥には十三重の塔が設置されており、庭の高さの広がりを見せています。
晋山記念の庭園
この庭園は情報量がかなり限られています。調査の中で唯一詳細に紹介されている資料では、次のように記載されています。
西明寺庭園は書院の北庭で、北山の大宝山の山麓に、昭和五十三年の晋山記念にスギの植林と同時に築造された、面積約1,200坪の築山池泉廻遊式庭園
澤田天瑞(1995)「西明寺庭園」『中部庭園同好会庭園資料集 第4輯』
晋山とは、山に晋(すすむ)、つまり新しい住職がそのお寺に入山することを意味します。この庭園は、新しい住職を迎える記念として昭和53年(1978)作られたのです。
その豪勢な作りから江戸時代初期の庭園かとも考えてしまいますが、印象と違って比較的新しい庭園なのです。しかし、非常に完成度が高い庭園であり、その優れた景観が今後も人々を魅了し続けてくれることを願っています。
参考文献
- 澤田天瑞(1995)「西明寺庭園」『中部庭園同好会庭園資料集 第4輯』