まだ知らぬ、日本を訪ねて

趣味の日本庭園や近代建築の紹介ブログです。

妙厳寺庭園

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妙厳寺庭園」 撮影:2019.09.21

庭園情報

  • 名称:妙厳寺庭園
  • 備考:国指定名勝(第二類)(昭和16年4月指定 同31年1月解除)
  • 住所:愛知県豊川市豊川町1
  • 作庭:不明
  • 完成:江戸時代初期

日本三大稲荷の「名勝庭園」

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妙厳寺 本堂」 撮影:2019.09.21

 日本三大稲荷の一つ、豊川稲荷。正式名称は「円福山 豊川閣 妙厳寺」であり、三大稲荷で唯一の仏教系となります。

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妙厳寺庭園」 撮影:2019.09.21

 明治維新廃仏毀釈の荒波を乗り越えた豊川稲荷ですが、そこに江戸時代より続く国指定名勝の庭園があることはあまり知られていません。一般の参拝客は通天廊の下から一部覗くことができ、祈祷などのお願いをして書院の中に入れば、庭園をゆっくり見る機会が得られます。見ることもなかなか難しい名勝庭園ですが、現在国はおろか、愛知県、豊川市といった地方自治体の名勝にも指定されていません。一体、どういうことなのでしょうか。

 「名勝指定」の謎

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妙厳寺庭園 石碑」 撮影:2019.09.21

 先述した石碑を見ると、次のような碑文が刻まれています。

史蹟名勝天然紀念物保存法ニ依リ

昭和十六年四月文部大臣指定

 事実、当時の官報を確認しても分かる通り、昭和16年(1941)4月23日に妙厳寺庭園は国の名勝(第二類)に指定されました。

 当時、国の名勝を管轄する法律は「史蹟名勝天然紀念物保存法」でした。その中には「国家的ノモノ」とする「第一類」と、「地方的ノモノ」とする「第二類」に分けられていました。豊川稲荷の庭園は、この「地方的ノモノ」として指定されたのです。

 昭和24年(1949)に発生した法隆寺金堂壁画焼損事件を受け、翌25年にそれまで別個に存在していた「史蹟名勝天然紀念物保存法」「国宝保存法」「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」を統合し、現在に続く「文化財保護法」を制定します。その際、「史蹟名勝天然紀念物保存法」における「第二類」については、地方自治体が指定や保護の判断を委ねられるように環境を整備した上で、昭和31年(1956)1月23日に一斉解除されました。第二類指定の名勝庭園は独立行政法人国立文化財保護機構の平澤氏によると14件あり、その内10件は再び国や地方自治体の名勝に指定されています。しかし、妙厳寺庭園については名勝指定解除後、地方自治体からの指定も無いまま現在に至るのです。

 いまでは、境内に指定された過去を示す石碑と看板のみが残されているわけです。

庭園の様子

 豊川稲荷の庭園は、一般の参拝客にはなかなか見れない構造となっています。

 この庭園について、豊川稲荷自身は次のように記しています。

名勝妙厳寺庭園

当山旧書院池端に面して名勝「妙厳寺庭園」があります。

昭和十六年四月二十三日附日本指定庭園となつたもので、その面積は一二、一七アール(三百六十八坪七合三勺)で、江戸時代初期に築造されたものであります。

 老樹を背景に三笠山をかたどり、空滝をつくり、山麓には池汀を設けてあります。池には鯉が放生され、亀などがたくさん遊泳しています。築山には蘇鉄、さつき、ぼたん、くちなし、さざんか、茶その他いろいろの草木が四季とりどりに花を咲かせて美しく、参詣の眼を楽しませています。

築山

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妙厳寺庭園」 撮影:2019.09.21
 江戸時代での「三笠山」とは、恐らく現在の若草山のことを指すと推定されます。若草山は、三つの山が重なるように見えることで有名です。現在の庭園にも三つの築山が設けられています。
枯滝と蘇鉄

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妙厳寺庭園 空滝」 撮影:2019.09.21

 築山の谷間には石組による枯滝が作られています。蘇鉄の成長により存在感を薄くさせていますが、非常に立派な石組です。それが江戸時代前期の作庭であることを示唆してくれます。

 庭園の中で、一際目を引くのが蘇鉄です。日本庭園では異質な感じも受ける蘇鉄ですが、岡山後楽園や二条城二の丸庭園など、意外と多くの庭園に採用されています。南国情緒を感じることができるため、一時期流行したようです。

蓬莱山

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妙厳寺庭園 蓬莱山」 撮影:2019.09.21

 一番手前の築山の一角に、多くの石組が配置されている所があります。特に説明は無いのですが、印象としては神仙思想の蓬莱山のように見えます。この先に本堂や奥院が所在していることからも、聖域に至る場所であることを示しているようです。

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妙厳寺庭園」 撮影:2019.09.21

 通天廊を挟んだ向かい側にも、立派な石組と五重塔があります。ここは一般の参拝客もみることができる部分です。大きな石を用いて断崖を表している景観は、向かい側の蓬莱山とも相通じるところがあります。もしかしたら、通天廊ができる前は一体のものとして作庭されていたのかもしれません。

鹿の像

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妙厳寺庭園 鹿の像」 撮影:2019.09.21

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妙厳寺庭園 鹿の像」 撮影:2019.09.21

 日本庭園のなかでかなり珍しいのは、鹿の像が築山に置かれていることです。通常であれば石組等で表現できそうですが、あまりにも直接的なコンクリート成型の鹿像が置かれています。立派な日本庭園であるにも関わらず、雰囲気を幾分か損ねているようにも見えますが、なにか事情があるのかも知れません。いずれにしても、どこかのタイミングで見直して欲しいものです。

亀の噴水

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「玄武の石像」 撮影:2019.12.08

 ネットで検索すると、かつては池の中に亀の形をした噴水が設置されていたことがわかります。日本庭園と噴水はあまり相性が良くありません。兼六園偕楽園で噴水は設置されているものの、例外的なものに留まっています。自然の描写を重視する日本庭園において、噴水はあまりに人工的過ぎることが原因と言われています。かつての亀の噴水も、現在は境内の中に人知れず置かれています。

 

 かつては国指定の名勝であり、現在も整備が行き届いている立派な日本庭園。一方で、鹿の像や亀の噴水等、国指定名勝のままではおよそ認められないような改変も行なわれています。保護の形態がいずれであっても、いつまでも参拝客の目を楽しませて欲しいものです。

参考文献